最後のひとりまで、
全ての交通遺児が修学できる、経済的な環境を支援する。
そして、交通事故・飲酒運転ゼロの世界を創る。
交通遺児育英会の事業の目的は定款の第3条目的の項に定める通り、道路における交通事故が原因で亡くなられたか重度の障害を負われた方の子女のうち、経済的理由によって修学が困難な方々に対して奨学金の貸与等を行い社会有用の人材を育成することにあります。
これまでこの前提をもとに修学支援の充実を図ってきました。それを進めるのに常に私たちの視野の中心にあるのは奨学生の方たちが社会に出られてからの奨学金返還の負荷を出来得る限り軽くすること、学費外であっても学生生活から社会に出るまでに常識的に必要とされる経費負担を軽減することです。
この発想を前提として、昭和53年から日野の豊田に東京寮“心塾”を開設し、平成17年からはその“心塾”を関西圏へ拡大しました。平成末から、令和初期にかけては次のような給付型支援の拡大を図ってきました⇒給付型の奨学金の導入、下宿者への家賃補助、上級学校受験費用補助、自動車運転免許取得費用補助、コロナ感染拡大に対応するための一時金給付等です。
今年度からは、浪人生の皆さんに対しての奨学金支援、全奨学生を対象とする英検受験費用補助をスタートしました。これら給付型の修学支援の多くと奨学制度の改善は“高校奨学生と保護者のつどい”(以下“つどい”と称す)や“語らいカフェ”等における保護者のご意見、提言をヒントにしてスタートしています。
その意味でこれからも “つどい”や“語らいカフェ”のような保護者同士の交流、その場は取りも直さず私たち事務局との交流の場ともなっていますが、これを大事にし、そこから得たアイデアに絶えず我々独自の発想による改善、改革をプラスして事業を一歩ずつ前に進めていきます。
交通遺児育英会は、保護者が自動車事故やバイクの事故など道路上の交通事故が原因で亡くなったり、重度の後遺障がいのため、経済的に修学が困難になった子どもたちに奨学金を無利子で貸与 (一部給付) して、高校や大学などへの進学を支援し、社会有用の人材を育成することを目的としています。
高校をはじめ、大学、大学院、専修・各種学校生に奨学金、入学一時金 (高校3年生には進学準備金) を無利子で貸与 (一部給付) しています。財団設立以来、55年間に渡って、58,253名の学生さんに累計579億円の貸与をさせていただいております(令和5年度現在)。奨学生の募集には、進学前に奨学金の貸与を予約する「予約募集」(高校・大学・専修学校・各種学校)と、進学後に申し込む「在学募集」があります。
奨学金の種類は月々の奨学金の他に、「入学一時金」、「進学準備金」(大学・専門学校進学予定者のみ)があり、貸与金額はそれぞれ3種類の中からの選択制となっています。
また他の奨学金制度と併せて利用することもできます。
以下の給付制度があります。
本会は、指導・育成事業として、奨学生に対して、成績、生活状況の把握と指導を行っています。また、高校奨学生を対象として次の事業を行っています。
地方出身の交通遺児が、経済的、精神的に安心して首都圏、関西圏の大学等に通えるようにと開設されました。
「心塾」では、専門家による「読書感想文講座」「文章講座」「スピーチ講座」を開講(関西寮は「読書感想文講座」のみ)、さらに年間を通して塾生同士や地域の人たちとの交流を図る様々な行事を実施しています。
昭和30年代以降の日本の高度経済成長は、国民の生活を豊かにし、その繁栄の一つの姿としてモータリゼーションの時代を招来いたしましたが、一方で交通事故死者数の増加という大きな負の遺産をもたらしてしまいました。
その大きな負の遺産の一つが、保護者を亡くした交通遺児や後遺症によって働けなくなったり、著しく収入が減った被害者の子弟、いわば準交通遺児が多数生まれたことでありました。
この交通遺児たちを経済的に助けて、精神的に励ましたいと訴えた岡嶋信治氏の投書をきっかけとして、1967年(昭和42年)5月、勤労青年、学生、主婦などからなる「交通事故遺児を励ます会」が誕生いたしました。(岡嶋氏は、1961年(昭和36年)、新潟県長岡市の酔っ払いひき逃げ事故で姉とその生後10か月の長男を失っております)
「交通事故遺児を励ます会」は、街頭募金やチャリティーショー、チャリティーバザーなどで交通遺児の窮状を訴えるかたわら、遺児家庭を訪問して実態を調査いたしました。一様に生活苦にさいなまれている遺児家庭の母親が「子供を高校にだけは進学させたい」と訴えていることを知り、その救済策の一つとして育英事業の実現を目標に活動を続けました。
この活動に政府も動かされ、同様の全国調査に乗り出しました。
1968年(昭和43年)11月の政府発表の調査結果は、交通事故遺児を励ます会の運動目標である育英事業の必要性を裏付けるものとなりました。この結果を受け国会で再三の議論がなされました。
同年12月の衆議院交通安全対策特別委員会では、「政府はすみやかに交通遺児の修学資金貸与などを行う財団法人の設立およびその法人の健全な事業活動を促進するため、必要な助成措置等について配慮すべき」旨の決議がなされ、その後の閣議で、この政府の方針は了承されました。
1969年(昭和44年)3月31日「財団法人交通遺児育英会」の設立総会が、東京・丸ノ内の東京会館で開催され、9月から全国の交通遺児高校生約3千人に、月5千円ずつの奨学金を貸与することを決めました。
この設立総会の決議に基づき、4月15日、東京都を通じ財団設立関係書類を提出いたしました。
5月2日総交第58号、委大第4の3号にて内閣総理大臣および文部大臣より財団設立を許可されまして、正式に「財団法人交通遺児育英会」が発足いたしました。
5月9日上記主務官庁の設立許可にともない東京・経団連会館で創立総会を開催する運びとなり、これに先立ち理事会を開きまして、顧問および評議員の選任を行い第1号議案「顧問および評議員の選出について」および第2号議案「日本自転車振興会および財団法人日本船舶振興会に対する補助金交付申請について」の両議案を決議いたしました。ただちに創立総会(理事会および評議員会)を開催し、第1号議案「昭和44年度事業計画及び収支予算について」、第2号議案「奨学金貸与規程その他の規定の制定について」を全会一致で可決いたしました。
5月20日、財団法人交通遺児育英会の登記が完了いたしました。税制上は寄付の税制優遇の対象となる「特定公益増進法人」であります。5月24日には総交第60号、委大第9の6号で奨学金貸与規程が承認されまして、奨学生採用の事業に着手いたしました。
事務所は、東京都千代田区永田町1丁目11番28号に置かれ、会長・永野重雄、理事長・石井栄三、専務理事・玉井義臣、事務局長・森敬の体制でスタートいたしました。事務局の陣容は、徐々に整備されましたが、発足当初は専務理事以下8人でありました。
この経過のごとく、財政基盤を固めることより設立が先行したがゆえに、設立発起人(設立当初の役員)の人選とともに、並行して基金を集めねばならない苦しいスタートとなってしまいました。
初代会長に当時の富士製鐵社長の永野重雄氏が起用されましたのには、人物はもちろんのことながら、基金形成の面で財界はもとより、政界、官界の広い人脈に期待する面がございました。
設立時の役員は会長、理事長、専務理事各1名、常任理事8名、理事12名、監事3名、顧問17名でありました。設立から現在までの各役員の就任時期と期間は下表のとおりです。
役職 | 氏名 | 就任期間 |
会長 | 永野重雄 | S44 → S59 |
武田豊 | S59 → H6 | |
林健太郎 | H11 → H15 | |
清水司 | H18 → H29 | |
菅谷定彦 | R1 → R5 | |
石橋健一 | R5 → | |
理事長 | 石井栄三(官) | S44 → H6 |
宮崎清文(官) | H6 → H19 | |
中根晃 | H19 → H25 | |
菅谷定彦 | H25 → R1 | |
石橋健一 | R1 → R5 | |
土肥寿員 | R5 → | |
専務理事 | 玉井義臣 | S44 → H6 |
穴吹俊士 | H8 → H19 | |
石橋健一 | H19 → R1 | |
土肥寿員 | R1 → R5 | |
大屋克文 | R5 → |
設立当初、玉井専務理事をはじめとする常勤者のトップが財団経営未経験でありましたので、非常勤役員の理事長には、初代、2代目と官僚OBの石井栄三氏、宮崎清文氏がついでおり、事務局を指導しておりました。
設立から現在に至るまで、この初代および2代目理事長以外役員ポストに官僚OBの就任はございません。
事務局員についても同様でありまして、設立以来主務官庁OBが数名在籍し、その指導を受けておりましたが、プロパー職員の成長によりまして平成10年代初期に内閣府局長と交通遺児育英会穴吹専務理事で官僚OBの受け入れは止めることで合意し、平成15年度末に最後の官僚OBが定年退職して以降、官僚OBはゼロであります。
発足後順調な経営が続きましたが、昭和57年頃から、玉井専務理事の主導で災害遺児育英募金や病気遺児育英運動が展開されました。しかしながら、この運動は交通遺児育英会寄付行為に沿わない事業でありましたので、玉井専務理事は平成5年4月、災害・病気遺児育英のための任意団体あしなが育英会を設立し、その副会長につきました。平成6年3月の交通遺児育英会第50回理事会で専務理事を辞しております。その理事会では、当面、当時の常勤理事事務局長を専務理事事務取扱といたしまして、専務理事業務を代行させることとしました。
このような経緯がありまして、約2年の専務理事不在期間の後、平成8年5月の第1回臨時理事会で新たな専務理事として穴吹俊士氏が選任されました。
以後、理事会の活発な議論を背景といたしまして、5年単位の長期事業計画をベースに立案された単年度の事業計画に従いまして、ひたすら交通遺児の修学支援策の充実を図ってまいりました。
年々の事業推進のベースとなりました長期事業計画は以下のとおり4~5年ごとにローリングを繰り返しつつ、現在に至っております。
1999年に事業再構築計画をスタートしてまもなく、2000年(平成12年)から2008年(平成20年)にかけて、内閣官房(行政改革推進事務局)において公益法人制度の抜本的改革の検討が進められ、2006年(平成18年)3月公益法人制度改革関連三法案が閣議決定され、同年5月第164通常国会において法案が成立し、2008年12月1日に同法が施行されました。
当会はこれに沿って、公益財団法人への移行認定申請を行い、2011年(平成23年)4月1日公益財団法人として認定を受けました。
第3次長期事業計画の終盤、平成27年下期から給付型の修学支援として家賃補助を始めましたが、以降自動車運転免許取得費用補助等を追加するなど、この給付型修学支援を充実させる一方で、生活保護者および住民税非課税者の返還免除等によって返還者の負荷軽減を進めてまいりました。
令和2年上期からは長年最大の目標として実現を目指してきた奨学金本体についての大学生以上に一部給付(月2万円)を開始しました。加えて令和5年度からは高校生にも月1万円の給付型奨学金を開始いたしました。現在推進中の第5次長期事業計画では、さらなる給付型修学支援の充実と返還負荷軽減策の追求を重要課題としており、「英語検定試験費用補助」や浪人生への「進学支援金(貸与)」の制度開始を実施しております。加えまして返済負担軽減策の追求や昨今注目をさてれいるヤングケアラーの方に対する支援も含め、具体的な検討に取り組んでいるところです。
1969年(昭和44年) | 5月 | 財団法人「交通遺児育英会」設立 初代会長に永野重雄、初代理事長に石井栄三が就任 |
9月 | 高校奨学金を月額5,000円としてスタート | |
1970年(昭和45年) | 7月 | 高校奨学生の「つどい」始まる |
1971年(昭和46年) | 3月 | 全国共済農業協同組合連合会が募集していた人形型募金箱の愛称が『さっちゃん』と決まる。佐藤栄作首相による命名。 |
1972年(昭和47年) | 3月 | 機関紙「君と581-2271」創刊号発行 |
1973年(昭和48年) | 4月 | 大学奨学金を月額20,000円としてスタート |
1975年(昭和50年) | 8月 | 「褒章条例に関する内規」による「公益団体」に認定される |
1977年(昭和52年) | 4月 | 大学院奨学金を月額50,000円としてスタート |
1978年(昭和53年) | 4月 | 学生寮竣工(東京都日野市)「心塾(こころじゅく)」と命名 第1回入塾式 41人入塾 高校・大学「入学一時金」制度スタート |
1979年(昭和54年) | 4月 | あしながおじさん奨学金制度」始まる 「あしながおじさん2,000人募集キャンペーン」スタート |
5月 | 「交通遺児育英会10年史」発刊 | |
1980年(昭和55年) | 2月 | 学生寮「心塾」で第1回卒塾式 8人卒塾 |
1981年(昭和56年) | 4月 | 専修学校・各種学校奨学金を月額30,000円としてスタート |
1982年(昭和57年) | 6月 | 「あしながおじさん」3,000人突破 |
1990年(平成2年) | 4月 | 「交通遺児育英会20年史」発刊 |
1994年(平成6年) | 3月 | 「心塾15年史」発刊 |
12月 | 高校奨学生の「つどい」中止を決定 | |
2000年(平成12年) | 3月 | 「高校奨学生のつどい」を新たに「高校奨学生と保護者のつどい」として各地区ごとに復活開催 |
2001年(平成13年) | 7月 | 「高校奨学生と保護者の相談会」始まる |
9月 | 機関紙の題号を「君とつばさ」に改題 | |
2002年(平成14年) | 1月 | ホームページ開設 |
4月 | 専修学校・各種学校「入学一時金」制度スタート | |
2004年(平成16年) | 4月 | 「あしながおじさん奨学金制度」満25周年 |
7月 | 「海外語学研修」スタート 高校奨学生29人が英国・ソールズベリーへ | |
2005年(平成17年) | 9月 | 学生寮心塾「関西寮」開設 |
2006年(平成18年) | 4月 | 学生寮心塾「関西寮」 第1回入塾式 7人入塾 |
10月 | 「進学準備金」制度スタート | |
2007年(平成19年) | 3月 | 「交通遺児育英会35年史」発刊 |
2008年(平成20年) | 5月 | 学生寮心塾「所沢寮」開設 |
2011年(平成23年) | 4月 | 「公益財団法人」に移行 |
2012年(平成24年) | 8月 | 地区ごとに開催してきた「高校奨学生と保護者のつどい」をこの年度から全国対象一括開催とした。(千葉市) |
2013年(平成25年) | 8月 | 「高校奨学生と保護者のつどい」開催(東京都) 以降、開催地を東京とし、個別相談会も併せて実施 |
2014年(平成26年) | 11月 | 交通遺児家庭の生活実態に関するアンケート調査を開始 |
2015年(平成27年) | 3月 | 平成26年度「交通遺児家庭の生活実態調査」報告書を発行 |
7月 | 「AC広告」第1弾スタート | |
10月 | 「家賃補助」制度スタート | |
2016年(平成28年) | 7月 | 「AC広告」第2弾スタート |
2017年(平成29年) | 3月 | 交通遺児とその母親の思いを綴った小冊子「父の思い出を乗り越えて」を発行 |
4月 | 「上級学校進学受験費用補助」制度スタート 「特別支援学校卒業生および生活保護受給者対象の返還免除」制度スタート | |
7月 | 「AC広告」第3弾スタート | |
2018年(平成30年) | 4月 | 「自動車運転免許取得費用補助」制度スタート |
7月 | 「AC広告」第4弾スタート | |
2019年(令和元年) | 5月 | 創立50周年 |
2020年(令和2年) | 4月 | 奨学金の一部給付(高校・高専を除く)を開始(2万円/月) 学生寮心塾「武蔵境寮」開設 |
6月 | コロナ対応支援金一人一律20万円を全奨学生に対して給付 | |
7月 | コロナ禍により「海外語学研修」中止 | |
8月 | コロナ禍により「高校奨学生と保護者のつどい」中止 | |
9月 | 「心塾東京寮の建替えに関するプロジェクトチーム」発足 | |
11月 | 交通遺児家庭の生活実態に関するアンケート調査を開始 | |
12月 | コロナ対応支援金(2回目)一人一律10万円を全奨学生に対して給付 | |
2021年(令和3年) | 3月 | 令和2年度「交通遺児家庭の生活実態調査」報告書を発行 |
6月 | コロナ対応支援金(3回目)一人一律10万円を全奨学生に対して給付 小冊子(第二集)「ハンドルの重みは命の重み」を発行 | |
7月 | コロナ禍により「海外語学研修」中止 | |
8月 | コロナ禍により「高校奨学生と保護者のつどい」中止 | |
2022年(令和4年) | 3月 | コロナ対応支援金(4回目)一人一律10万円を全奨学生に対して給付 心塾東京寮を建替えのため閉鎖 |
7月 | コロナ禍により「海外語学研修」中止 | |
8月 | コロナ禍により「高校奨学生と保護者のつどい」中止 | |
10月 | コロナ対応支援金(5回目)一人一律10万円を全奨学生に対して給付 | |
11月 | 「語らいカフェ」スタート | |
2023年(令和5年) | 4月 | 高校および専修学校高等課程等の奨学生に奨学金の一部給付を開始(1万円/月) |
7月 | 「海外語学研修」再開 | |
8月 | 「高校奨学生と保護者のつどい」再開 | |
9月 | 「語らいカフェ」再開 | |
2024年(令和6年) | 2月 | 「心塾®︎」東京寮、全面リニューアル竣工式開催(3月より入寮) |
3月 | 奨学生の生活実態に関するアンケート(ヤングケアラー調査)を実施 | |
4月 | 「進学支援金」制度、「英語検定試験費用補助」制度スタート |
名称 | 公益財団法人 交通遺児育英会 |
所在地 | 〒102-0093 東京都千代田区平河町2-6-1 平河町ビル3階 |
電話 | 03-3556-0771(代表) |
設立 | 昭和44年(1969年)5月2日 |
役員 | |
会長 | 石橋 健一 |
理事長 | 土肥 寿員 |
専務理事 | 大屋 克文 |
「交通遺児育英会」や「あしながおじさん」を名乗るメールやラインその他不審な勧誘にご注意ください。
当会では、個人に対して、メールやラインおよびフェイスブック等での勧誘は一切行っておりません。