高校奨学生の声

エスペラント語と出会い、新しい見方が

愛知県 2年 長江 彩花

 先日、〈ハルチカ〉という小説のシリーズ第2巻『初恋ソムリエ』(角川文庫)を読みました。私は本がとても好きなのですが、中でもこのシリーズは、学園ミステリーでありながら、青春や社会に関する問題にも目を向けた味わい深い作品です。物語の中に登場したエスペラント語という言語に興味を持ちました。
 物語の重要な鍵を握るエスペラント語ですが、これは国籍を持たない人工言語です。ポーランドのルドヴィコ・ザメンホフによって考案され、共通の母国語を持たない人々の間での平等な意思疎通のための言語だとされています。生まれながらしゃべる人間は一人もいない、全員が同じスタートラインで学ぶことができるという点で、とても魅力的で可能性に満ちた言語だと思いました。 
 私が最も悩んでいる教科は英語です。中学生の頃から英語を学ぶことは、自分の世界が広がっていくようで好きでした。しかし、高校生になってからは、その圧倒的な単語量と単語の小テスト、細かく分岐した文法を吸収しきれず、好きなのに成績は伸び悩むという状況が続いていました。中学英語とのギャップに焦り、語学学習自体に疲れ果てていた私に、改めて言語の面白さを教えてくれたのが、このエスペラント語です。
 エスペラント語には、初心者にも分かりやすいルールや日本発祥の単語、たとえば「日本酒」は「サケーオ」というなど、単語同士の意味のつながりを見出す楽しさがあります。思えば、英語を好きになったのも、言葉の成り立ちやつながりに魅かれたからでした。
 エスペラント語と出会い、言葉を通して新しい見方や考え方を知る楽しさを、改めて思い出すことができました。今後の生活においても、新しいことを学んだ時の新鮮な気持ちを忘れず、自分なりに学びを楽しむ努力を欠かさずにしていきたいです。

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通信制高校へ転学 空いた時間を仕事に

滋賀県 3年 冨岡 翔太

 私は2年生になる一昨年の4月に通信制高校へ転学しました。新しい学校はほとんど通う必要がなく、レポート課題の提出など最低限のことを守っていれば後は自由です。通学するのは週に1、2日程度です。時間に余裕があるので、仕事を始めました。主に工事現場での作業でさまざまなことをしました。建築物の解体、道路工事、建築内装、足場組立・解体、建築板金、型枠組立など。古民家の解体現場では、すすで全身真っ黒になりました。すす竹は黒光りしていてきれいで、価値があることを教えてもらいました。建築内装では、部屋が出来上がっていくことが面白かったです。暑い日も寒い日も、雨に一日中打たれながらの時もあり、つらいことも多いのですが、今まで知らなかったことを知ることができました。普通科の高校ではできないことをたくさん経験できました。 給料がもらえるのが、とてもうれしかったです。その給料で中型バイクの免許を取得し、中古バイクを購入しました。友達と一緒に走りに行くのが一番楽しいです。もちろん交通安全には十分注意しています。
 この1年、コロナ禍でも土木・建設業の現場はストップせず、充実した時間を過ごせたと思います。やりたいことを見つけて、そのために必要なことを自分で稼いで準備してやっています。自由で楽しい分、厳しいことも責任もありますが、充実しています。
 目標は卒業です。一度はあきらめた卒業ですが、絶対したいです。そして、今までの経験を活かして自分に合うところに就職したいです。

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復讐心で人を裁く 新たな犯罪を生む

広島県 2年 松浦 朱杏

 私が読んできた小説の中で最も深く心に残っているのは、小林由香さんの『ジャッジメント』(双葉文庫)です。大切な人を殺された時、両親や子どもなどが犯人に被害者と同じ目に遭わせることができる復讐法≠ニいう法律が生まれた日本が舞台。主人公は復讐人ではなく、復讐法を選んだ人々を見届ける応報監察官です。物語は、息子を殺された父親が殺した高校生に復讐法を使い、その高校生の母親によって殺されたり、祖母を殺された母親が実の娘に復讐法を使い、憎かった娘の優しさにやっと気づいたり。また、自分と妹を虐待し、妹を死に追いやった両親に10歳の少年が復讐法を使った上に何も食べずに過ごし、死んでしまうという逸話など。途中読むのがつらくなりやめてしまいたくなるくらい、悲しく重い内容でした。あらすじを見た時、現実世界でも被害者と同じ目に遭わせてやろうと考える人がいて、それを実際に行動に移し、犯罪者になってしまう人がいます。だから、復讐法はあってもいいのではと思っていました。でも、読み進めていくうちに、人を復讐で裁くことは不可能であり、人を正しい法で罰することがどれだけ難しいことなのか深く考えさせられました。〈大切な人を残酷な方法で殺した犯人は憎く、同じ目に遭って死んでほしい。殺したい〉という気持ちは理解できます。でも、その憎しみだけで、復讐を選んでしまうと、人を殺した犯人と同じになってしまったという後悔に圧しつぶされたり、新たな犯罪が起きる原因となって、誰も幸せにならないと教えてくれました。この本は、自分の安易な考えを改めさせてくれる大切な1冊で、みんなに読んでほしいです。

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3週間の米国ホームステイで人生観が変わる

千葉県 3年 川田 梨彩

 一昨年一年間で、私はとても貴重な体験をすることができました。それはアメリカへのホームステイです。中学生の頃から海外へ行くことに興味はありましたが、自己負担での留学はとても高いし、旅行は親の休みの関係で遠くへは行けませんでした。それに加え、父が他界し、海外渡航の望みはますます薄れ、その時点では断念するしかありませんでした。
 「大人になって自分でお金を貯めて行こう」。そう思い始めていた時に、奨学生を対象としたホームステイ募集を見つけ、「これだ!」と思いました。募集要項に書かれていた英語の資格を取得するための勉強は、自分でも驚くほど楽しくて、何ら苦ではありませんでした。それくらい、私は楽しみにしていたのです。それからしばらくして参加が決まり、心の中はアメリカのことでいっぱいでした。
 友達にたくさん自慢して迎えた夏休み初日、ついに私のホームステイ生活が始まりました。ただでさえ短く感じる夏休みの3週間。アメリカにいるのだから、それはいつも以上に短く感じることを予想していました。が、結果的にそれは、半分当たり、半部外れました。確かにあっという間に時間が過ぎていきました。でも、いつものようにダラダラ過ごしたのではなく、毎日が本当に充実していたので、とても濃厚な時間になりました。
 帰国してから、私の中で海外に対する意識がガラッと変わっていることに気付きました。今までは「勉強させられている」と思っていた英語も、海外の子とコミュニケーションをとるためのものだと分かり、初めて「もっと知りたい! 話せるようになりたい!」という気になりました。
 たった3週間でこれだけ人生観が変わるのだから、これからもっといろいろな経験をしたいと強く思っています。挑戦して良かったと心の底から思える、そんな貴重な出来事でした。 

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イラストを描き続けていきたい

長野県 3年 丸山 綾音

 今、私は勉強の他にもがんばっていることがあります。それはイラストを描くことです。元々、絵を描くことは得意ではなかったけれども、友人に「うまいね」「あやねちゃんの絵、好きだよ」と言ってもらえることがあって、だんだんと絵を描くことが好きになって、努力をするようになり、今では毎日イラストを描いています。日々の積み重ねにより、画力も上がり、うれしいです。アナログだけでなく、デジタルにも取り組んでいます。
 これを通して、「好き」という気持ちはすごく強いんだなと思いました。絶対、以前のように「苦手」と思っていたら今の私はいないと思います。「苦手」を「好き」に考え方を変えるだけで、私の世界が一つ広がった瞬間でした。これからも勉強と同じようにイラストをがんばっていきます。それは完全に私のアイデンティティーの一つになっています。「好き」の気持ちをこれからも大人になっても大切にして生きていきたいです。  

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選ぶものは青色ばかり

山口県 3年 道下 亜美

 私は昔から青色が大好きです。眼鏡にしても服にしても青色ばかりで、選ぶものも青色でなければ興味が湧かないほどです。しかし、なぜ私がそこまで青色に執着するのかは、今でも分からないままです。
 ところで、青色が象徴するものとしては、聖母マリアが代表的です。絵画にしても像にしても、慈愛に満ちたその姿を包み込むのは青色の布でした。「母」といえば、「母なる海」というフレーズが有名です。今は亡き父が私をバイクに乗せて連れて行ってくれたのも、広大な海辺でした。今でも、運転する父に掴まる感覚、橋の下で白波を立ててうねる海の力強さを思い出します。父が運転していたのは大型のバイクですが、そのバイクとバイクが走っている橋というのも、海が動けば、すべて水の中へ還ってしまう。有無を言わさぬ力と、慈愛の美しさ、それらを備えている海を昔の人は聖母に重ね合わせ、共通したものが青色だったのだと、私は考えます。
 このように、私は自分が青色を愛している理由について考えますが、今まで青色について考えた中の結論は、全てが違うようで合っているような気がするだけです。きっと、自分は青色が好きになる性格なんだというところで、今は落ち着いています。
 私にはまだ大学受験があるので、青色が好きな理由は、また暇のある時に考えようと思います。

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模型作りができる専用の作業部屋を

岩手県 2年 及川 聡太

 高校ではとても楽しい毎日を送っています。何が楽しいのか、それは日々の部活動や勉強とも言えますが、一番なのは「趣味の合う人と話ができる」ということです。中学の頃は趣味の合う人があまりいなくて、会話の話題を見つけるのに大分苦労しましたが、今はそんな必要もありません。今まで他人に対して隠していた自分をさらけ出せるような気がしてとても解放的な気持ちになります。
 自分の将来の夢についてですが、「今やっている好きなことを変わりなく続けられる」ことができればよいです。
 私は車の模型作りに熱中しています。1枚のペラペラの紙から作り上げる。この楽しさに気づいたのは8年くらい前のことです。これまで3百台ほどの模型を作ってきました(ほとんど劣化でボロボロですが)。
 今は材料も道具もそろっていますが、一つだけ足りないものがあります。それは「作業スペース」です。将来、一人暮らしをするつもりですが、作業する部屋を設けたいと考えております。将来は趣味を楽しむ生き方をしたいものです。
 将来への道筋はまだ決まっていませんが、今後、必ず決めることになるでしょう。思い通りの生活に近づけるよう、日々、努力していきたいです。

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映画で流れる歌が私の人生観を変えた

岡山県 2年 大田 悠仁

 好きな映画は、ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」です。ショービジネスを自ら生み出し成功させた男、P・T・バーナムという実在した興行主の波乱万丈の生涯をドラマティックに描いた作品です。
 最近、映画にはまり、初めてミュージカル作品に挑戦してみたのですが、初めてにしては良すぎました。監督のマイケル・グレイシーは、昨年日本で公開された「ロケットマン」の監督でもあり、両作品とも予想を裏切らず、余韻に浸れました。
 「グレイテスト・ショーマン」はP・T・バーナムを中心に、サーカス員との友情、家族との愛情、フィリップとアンとの叶わない恋など、いろいろな感情や情景が移り変わっていきます。はじめは金もうけのためのサーカス団でしたが、フィリップやサーカス団員に心を動かされていくP・T・バーナムの様子を見て、思わず心が打たれました。世間が見放してもフィリップとサーカス団員はP・T・バーナムを見放すことはなく、両者間に生まれる強い愛に、私は目が離せませんでした。
 劇中に「This is me」という曲が流れるのですが、この曲は、私が落ち込んだ時に必ず聞くようにしています。はじめは自分の欠点を恥じる暗い曲なのかと思いましたが、けっしてそうではなく、欠点すらも強みに変えていく、ありのままの自分を歌っている歌詞です。本当に元気づけられます。この歌詞が私の人生観を変えてくれました。最高の映画です。

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どこの家族よりも最高で最強な家族です

福岡県 3年 花田 真帆

 お父さんは、私が3歳の時に亡くなりました。でも、その3年間は、周りの人が17年間注がれた愛情よりも、たくさんの愛情を注がれた自信があります。私は2人目の子だからお父さんとの写真は少ないです。でも、何枚かしかない写真が私にお父さんという存在をしっかりと残してくれています。お父さんは優しくて近所の人にも好かれ、とても良い人だったと聞きました。世界にたった一人の自分のお父さんがそういう人柄で良かったと心の底から思います。今は家族が4人じゃなくて3人だけど、皆で協力して暮らし、楽しく幸せです。
 お姉ちゃんは、小さい時に父親と一緒に事故に遭い、その時からずっとPTSDという障がいを抱えていて、すごく大変な思いをしてきています。だけど家族一のムードメーカーで、たくさん盛り上げてくれます。私がつらい時は笑わせてくれたり、ダメな時は叱ってくれたり、面倒くさいなと思う時がたくさんあるけれど、2人目の母親のような存在です。
 そしてお母さんは、友達ではないのかと思うくらい私たちのノリではしゃいでくれます。いつも大変と言いながらもお弁当を必ず作ってくれます。落ち込んだ時は慰めてくれて、テストで私なりの良い点を取った時は、たくさん褒めてくれます。周りから見ると甘やかしすぎだと思われるような感じだけど、そんなお母さんは世界、いや宇宙一だと思います。大変な仕事をがんばってくれて、本当に感謝で一杯です。そのがんばりを無駄にしたくないので、私にできることは全力で成し遂げたいと思っています。これからもつらいこと、楽しいこと、おもしろいことは3等分して過ごしていきたいです。私の家族はどこの家族よりも最高で最強です。

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親へ感謝の気持ち

青森県 3年 林 勇一

 私がいま、自分のなりたい職に就けるように勉強ができているのは、まぎれもなく親のおかげだ。
 まず母へ。毎日私のために朝、晩と働いてくれている。母がいなければここまで幸せな生活を送れていないと思う。私のやりたいことはすべて協力してもらい、生活の上で嫌だと思うことは何もない。「毎日同じご飯でごめんね」と謝ってきますが、私はそのご飯を食べられるだけで幸せだと思っている。
 そして父へ。私が将来なりたいと思っている和食調理師になりたいと思ったきっかけを作ってくれた。父はずっと私の頭の中にいる。他の人と比べたら、一緒にいる時間は短かったかもしれないが、私は誰よりも父と一緒に過ごせた時間を幸せだと思っている。特に、父が一番好きだった魚釣りは形を変えて今、私の夢になっている。教わった魚と触れ合う楽しさを教えてくれてありがとう。これからも空の上で家族を見守ってください。

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油絵の楽しさを知る

愛知県 2年 芳賀 依子

 この1年最もがんばったのは美術部の活動です。水彩画を描いていた中学時代と違い、高校は油絵中心で自分にとっては生まれて初めてのことだったので最初はなかなかうまく塗れませんでした。水に溶かして使う水彩絵の具とはまったく違う、チューブから出す濃くて重たい絵の具、硬い筆、自分で張ったキャンバス、すべてが新鮮でした。
 私は神社を描きました。建物は少しでもバランスが崩れると一気にぐちゃぐちゃした印象になってしまうので、下書きはちゃんとバランスがとれているかを確認しながら、細かくやりました。しかし、細かく描きすぎてしまい、キャンバスが下描きに使用した木炭で真っ黒になってしまい、時間もすごくかかってしまいました。やっと塗り始めた時には、半分ほど終わっている子もいて、期限まで時間がなく冬休みの間、できる限り学校に来て油絵を塗りました。
 塗り方も何もわからない状態だったけれど、とりあえず色を置いてみることにしました。影になる部分に青、光の当たる部分を黄色で塗り、大まかな陰影を付けていきました。毎日片づけをする前にその時の状態を写真に収めました。写真に残すと、全体を見ることができて、どこをやるべきなのかがはっきりします。完成した後、撮った写真を順番に並べてみていくとだんだん出来上がっていくのがわかり、とても達成感がありました。
 私はこの1年で油絵の楽しさを知りました。

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通信制でがんばる

東京都 2年 佐々木 希

 高校に入学しました。それは私にとってとても大きな一歩でした。中学3年間学校へ行くことができませんでした。担任の不平等な指導や同級生のからかいが原因でした。毎日部屋に引きこもりイラついて、時に家族につらく当たったりもしました。それでも母はやさしく見守ってくれて、「学校へ行きなさい」とは言わず、「ちゃんとご飯食べなさい」とか「朝起きて、夜はしっかり寝なさい」と、私を気遣ってくれました。
 2年になると新しい担任が家庭訪問をしてくれるようになり、少しずつ勉強を始めました。進路を決める3年の冬、自宅近くの通信制の高校に進むことに決めました。この学校は私と同じようにいじめなどで不登校になった生徒が多く、通信制で一人一人の事情に配慮してくれる高校でした。とはいえ、私にはすべてが一からの挑戦です。前期期末試験では、朝早くから試験対策のプリントを片手に必死で勉強しました。母も一緒に手伝ってくれました。おかげで総合や国語で満点を取るなど、初めて努力が形となって表れました。まだ、人付き合いには不慣れなこともありますが、少しずつ克服できたらと思います。

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有言実行の人物になりたい

広島県 3年 藤井 莉子

 私は部活で新たにスピーチ部に入部しました。車いす生活の母と共に日常生活を過ごしていく中で、バリアフリーの不便な所や公共機関の不便さ、周りの「障がい者」に対しての意識について弁論しています。
 人前で発表するのはあまり得意ではない私ですが、スピーチを通して言葉で伝える楽しさや難しさを学び、人前に立って話す度胸を身につけました。名古屋で全国向けのライブを行ったり、県大会では3位入賞。今年の夏には全国大会が決まっています。
 また、名古屋では大きなライブハウスでステージの上に立たせてもらいました。何度ステージに立ってもすごく緊張しますが、毎日の練習の成果を発揮し楽しく終えることができました。
 少しでも「障がい者」に対して自然と手を差し伸べてくれる人が多くなり、助け合いができる世の中になることを願いながら、弁論しています。これからも日々精進してがんばります。
 そして、私の学校にはマイスタースクールという特別な授業があります。さまざまな資格を取ることができます。私はインターアクトに所属しており、週に1回ボランティア活動を行っています。活動はさまざまで、地域清掃や服の力という難民の子どもたちに服を届けることなどをしています。また、災害時には駆けつけて清掃活動を行ったり募金活動をします。
 このことを通して、身の回りの出来事は実際に見てみなければ分からないことを知りました。ただ、テレビで流れるニュースだけの情報では判断しにくく、今自分は何をすべきなのかは明確ではありません。地域清掃でもポイ捨てがたくさんされている光景を多々見かけます。私はどんなゴミも見逃さず積極的にごみを拾っています。いつも達成感や、すがすがしさを感じています。そして、人に感謝されることのうれしさも学びました。
 このような経験から、将来私は、言葉だけではなく実際に行動を起こせるような有言実行ができる人になりたいです。

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建築士の夢に向かって進む

青森県 2年 田 裕貴

 自分の将来の夢は建築士になることです。そう決めたのは中学3年の初めでした。元々モノ作りが好きでした。自分が設計した建造物が何年も長い間、形として残っていき、そこに入居した人々を幸せにできる。そこにひかれて決めました。
 もう一つの理由として、小さい時から家族に家を建ててあげると決めていました。自分で設計して建てた家に安全に暮らしてほしいと思っていました。  建築士になるための第一歩として、県内でも有名な工業高校の建築科に入学するために受験勉強をがんばり、入学することができました。
 高校に入って建築関係の勉強をしてみて、改めて建築士になることの難しさを実感しました。しかし難しいからといって諦めてしまったら高校に入学した意味がなくなるし、何よりも夢を諦めてしまうことになる。それだけは自分が許さないので今も勉強をがんばっています。
 高校を卒業したら、大学に進学しようと考えています。もっと今よりも建築について学び、2級建築士、1級建築士とどんどん資格を取っていきたいと思います。建築士の資格取得には実務経験も必要なので、とても大変ですが、それだけやりがいがあると思うので、がんばります。
 夢に向かって進んでいこうと思います。

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チワワと出会い犬の専門学校に

三重県 2年 桐生 莉菜

 私は、中学生の時にやりたいこと、学びたいことがわからず、進学先を迷っていました。そんな時に、オープンスクールで今の学校を知り、オープンスクールへ2回参加し、この学校への進学を決めました。
 父が他界してから、私は学校に一人で行けず、ずっと母が一緒についてきてくれました。授業も一人で受けることができませんでした。
 そんなある日、ペットショップに行き、一匹のチワワと出会いました。母は「学校に一人で行けるなら」と約束し、チワワを飼ってくれました。 次の日から私は一人で学校に行けるようになりました。ペットを飼ったことで、「がんばらなければ」と思う自分がいました。母と一緒でないと行けなかったことも少しずつ一人でできるようになりました。知らず知らずの間にペットに助けられていました。
 今通っている学校は、犬の専門学校です。私が犬に助けられたように、いろんな人を助ける犬に関わった仕事に就きたいと思って、この学校に決めました。中学校とは違い、また、他の高校とも少し違い、最初はすごく不安でしたが、今は、毎日が楽しくて充実しています。
 授業では犬種を覚えたり、実際にシャンプーの実習も行っていて、たくさんの犬に触れることができます。学校が休みの日には当番があります。命ある生き物だからこそ休みはなく、お世話をするために学校へ登校します。入学してから学校で飼っている犬が喉頭がんになり、12月には別れもありました。生き物と向き合うためには必要なことだ、と先生は言っていました。
 また、校外学習や体育祭、文化祭などもあり、在学生が少なく、1年から3年までみんなで行事を行います。先輩との関わり合いも多く、当番の時には、先輩に教えていただきながら、一つひとつ必要なことを覚えていきます。
 4月からは、私も上級生になるので、教えてもらったことを1年生に教えていきたいと思います。また、何がしたいか明確な夢を見つけられるように、高校生活を過ごしていきたいです。

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将来の夢はパソコン関連の仕事に就きたい

千葉県 3年 高橋 勝大

 僕の将来の夢はパソコン関係の仕事に就くことです。パソコンに興味を持ったのは小学生の時です。授業でローマ字などを習い始めてから、もっとパソコンを使っていろいろなことをしてみたいと思いました。小学校高学年になってからパソコンクラブに入り、カレンダーやポストカードなどを、自分でデザインやレイアウトを考えて、いろいろ作りました。
 中学生になった時には、先生に卒業文集の編集を任せてもらいました。僕が作った文集はみんなにも先生たちにも好評で、いろんな人にすごいねって褒められました。この時に、将来はパソコン関係の仕事に就きたいと思いました。
 高校では情報処理コースを選び、今まで以上にパソコンを使うようになりました。何かを作るだけではなく、エクセルやワードなど、将来使うであろうソフトをいっぱい勉強しています。学校で習わないことは自分で調べて独学で学んでいます。新しいことを知るたびにどんどん楽しくなってきました。僕は勉強や運動があまり得意ではありません。ですが、パソコンを使うことに関しては学んでいて楽しいし、いろんな人に褒められるので、これからも積極的に学び続けたいです。
 今年は僕も受験生です。まだ何も決めていませんが、ウェブデザインやプログラミングなどが学べる学校のオープンキャンパスに行って、将来自分は何を学び、どの職に就きたいのかを見極めるため、しっかり見学したいと思います。

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理学療法士で国際的に活動したい

北海道 2年 伊香 孝則

 今年一番力を入れて勉強した科目は英語です。理由は二つあります。
 一つ目は、高校の英語の授業は日本語を使わず、すべて英語で話す授業だからです。最初に先生が英語は日本語に訳さないで英語としてとらえると言っていました。そのため、自分が英語の文章を読むときは、なるべくイメージを持って読むようにしました。その結果、今では英文を前より早く読めるようになり、日本語に訳すことが減りました。
 また秋には、学校の英語スピーチコンテストにも選ばれ、全校生徒の前で発表しました。
 そうしていくうちに、英語を学ぶということが楽しくなり、一生懸命勉強するようになりました。
 二つ目は、アメリカへの語学研修です。期間は3週間で短かったですが、ネイティブの人とたくさん話せる良い機会になりました。はじめは自信があまりなくて、詰まってしまうことも多かったのですが、話していくうちに自信がつき、表現力が上がったと思います。
 将来は理学療法士になるというのが夢で、そのなかで英語を使う国にも携われればと思っております。
 そのため今、英検をがんばっています。早く国際人になれるようにこれからも努力していきたいです。

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大切な人の死を前に自分にできることは

山口県 3年 丸山 夢乃

 大切な人が死を迎えると知ったら、あなたはどう思いますか。何を考えどういう行動に出ますか。そして死を迎えた時、あなたは立ち直ることができますか。
 私は、『君は月夜に光り輝く』(佐野徹夜著 メディアワークス文庫)という本に出会い、改めて人の生死について考えさせられました。
 主人公の卓也と病気を持っているクラスメイトのまみずとの約束の場面から、この本は始まります。その約束は、余命わずかな彼女が死ぬまでにしたいことがあると知った卓也が、彼女に代行して写真に撮って見せ、感想をきかせるというものでした。彼女のために何ができるか考え行動できる主人公はすごいと思いました。クラスメイトという関係から互いを大切に想うようになっていきます。
 私が一番感動した場面は、彼女が“発光病”で体が光ることを、病院の屋上で卓也に見せるところです。光が強くなればなるほど死が近づいて不安になる彼女に対して、「きれいだ」と卓也が言います。彼女が病気のことを気にしているのは知っているし、「きれいだ」ということはそれだけ光が強いことを表します。それを知っていてなお、卓也はそう告げて彼女を抱きしめます。
 その時、彼はどう思っていたのかが不思議に感じ、後にその言葉が彼女を励ますことを知り、私は一つの言葉の重みを知りました。
 自分だったら、大切な人が死を迎えると知って、すぐにはその人のためを考えて行動することなどできないと思います。うまく言葉も掛けられないと思います。
 だから、今周りに起こっている小さなことでも行動に移し、解決していけるようになりたいと思います。素直な言葉が人を支えたり励ましたりできるのなら、私は素直で優しい人間になりたいと思います。そして、思いやりを忘れずに、行動力のある人間になりたいと思います。

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訴訟記録の母の意見陳述書を読み、泣いた

宮城県 3年 市川 聖也

 約2年前、高校生活への希望と不安のなか迎えた入学式、この日は父が交通事故で亡くなって10年の節目の日であった。あの日、私が覚えているのは、父の同僚がたくさん家に来ていたこと、父が木の箱に寝ていたこと、兄や母をはじめ皆が泣いていたことだけである。
 入学式から帰る電車の中で「10年前の今頃は何をしていたんだろうね」と聞いてみた。母は「あの日はバタバタしていたから、私もわからない」と答えてくれた。
 今考えるとそのはずだ。4か月後に出産を控え、事故の2日前に退院したばかりであった。仕事に行く父をしっかりと見送ることもできず、母が次に見たのは傷だらけの父の姿。そこからは、父の同僚や葬儀屋への連絡で忙しかったのだ。
 10年前の事故を振り返ろうと思い、母が残していた刑事訴訟記録の意見陳述書を読んだ。泣かずにはいられなかった。そこには、母の心境が事細かく書かれていた。一時期、母が鬱の初期症状があったことも知った。しかし、そんなそぶりも見せずに家族に接してくれた母。これ以上、迷惑や心配をかけたくない。
 この1年、これといった親孝行ができたわけではないが、高校では奨学金財団から給付型奨学金をいただくこともできて、少しは母への負担も軽減できたのかなと思う。母や家族への感謝を忘れずに、日々、過ごしていきたいです。

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「科学の甲子園」に参加、貴重な体験

徳島県 3年 岡山 遥軌

 一昨年の11月、私は「科学の甲子園」徳島県大会に参加しました。メンバーは高校の科学部物理班に所属する、私を含めた7人で、大会以前から皆で大会に向けて対策を練っていました。大会では筆記競技と実技競技の二つが行われ、その内、実技競技で行われる競技の一つは事前に発表されていたため、皆で様々な意見を出し合いながら試行錯誤を繰り返していました。
 そして本番、私達は多くの高校生と共に競技場へ集まっていました。最初に行われたのは筆記競技で、2時間の内に仲間と協力しながら様々な教科の問題を解くというものでした。私は地学と情報の問題を担当しましたが、「科学の甲子園」と言うだけあって非常に難しく、地学は完璧に仕上げることが出来たものの情報はほとんど分かりませんでした。他の皆も苦戦していて、相談しながら解こうとしても出来ない問題がいくつかありました。それでも皆が全力を尽くしたおかげで、解答用紙をほとんど埋めることが出来ました。
 次に実技競技が行われました。二つのグループに分かれ、私のグループは、事前に発表されていた、自作ヘリコプターを作る競技を担当し、もう一つのグループは、目の盲点を調べる実験を行う競技を担当しました。ヘリコプターは全てゴムを動力とする条件があり、私たちが設計したヘリは、残念ながら本番ではあまり上昇せず、数秒間滞空するだけとなってしまいました。もう一つのグループも、実験がなかなか上手くいかず苦戦していたようでした。
 二つの競技の結果は、決勝進出とまではいきませんでした。しかし、私たちが皆で協力して全力で取り組んだことは事実です。この貴重な経験を生かし、今後に役立てることが出来ればと思います。

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天国の父に約束 幸せに長生きする

長野県 2年 葉桐 リカ

 3年前の12月、父を事故で亡くしました。いつも通り学校に登校し、仲の良い友達と会話をして楽しく授業を受けていました。体育の授業を受けていた時、ものすごいスピードで担任の先生が私に向かって走ってきました。「帰る支度をして」と言われ、よく分からないまま玄関に行ったら、そこに今まで見たことのないほど泣いている、母の姿がありました。気の強い人なので、それを見た時は本当にビックリしました。車に乗ると、母から「パパが死んじゃった」と告げられました。私は泣くことしかできませんでした。悲しさと同じぐらい後悔もありました。「こうしておけばよかった、あれ言っとけばよかった」と、そんなことばかり頭によぎっていました。
 まさか14歳で父を亡くす運命だとは、思ってもみませんでした。人に出会うということは必ず別れが来るということ。出会いの一歩先には別れが来るということ。生きているということは死があるということ。それを教えてくれたのは父でした。50代で亡くなり、本人はもっとやりたいことがあったはずです。だから、天国にいる父と約束したんです。「私はパパの分まで幸せに、そして長生きする」と。父の死をしっかりと受け止め、下を向くのではなく、「前」を向いて歩いて行こうと心に強く決めました。
 私には声優になりたいという夢があります。高校では演劇部に入部しました。優しい先輩や頼もしい友達もたくさん出来ました。その夢に向かって進んでいられるのも、母のおかげです。本当に感謝の一言です。これからも、家族みんなで協力し合いながら生きていこうと思います。

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夢は、牛の繁殖から肥育までの一貫経営

宮崎県 2年 福元 龍斗

 僕の将来の夢は、まず牛の繁殖から肥育までの一貫経営をすることです。そして、一貫経営をすることが出来たら、全国和牛共進会に出場して日本一の牛を育てることです。
 この夢のために今、県立農業高校に通っています。3年間で牛について学び、その後は県の農業大学校に進学しようと思います。そこでは、家畜商や家畜人工授精師、家畜受精卵移植師、2級認定牛削蹄師などの資格を取り、繁殖母牛や肥育牛の導入から種付け、出産、育成、セリまでを、一貫して学びたいです。
 この一年、勉学と部活動に励んできました。
 勉学では、国語や数学などの5科目はもちろんのこと、専門科目を特にがんばりました。
 部活動は陸上部に所属しています。僕は百メートルや2百メートルの短距離を走っています。大会がある度に自己ベストタイムを0.01秒でも速く走れるように、毎日練習しました。勉学と部活動の両立はとても難しく、大変でした。
 あしながおじさんのご厚意で高校に行くことが出来ています。がんばって大学に進み、自分の夢に一歩でも近づけるように努力していきたいです。これからもよろしくお願いいたします。

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