高校奨学生の声

自分もさらに成長 コロナ感染で知る「日常」の大切さ

茨城県 2年 藤田 渚央(なお)

 振り返ると、高校生になってからの1年間は、いろいろなことがありました。勉強は難しく、授業に追いつくのに必死でした。それでも新しい友だちができたり、部活動に入ったりと充実した毎日を過ごしていました。
 そんな中、私は新型コロナに感染しました。病気の(つら)さはニュースなどで聞いていましたが、実際に体験するととても辛く、さらに辛かったのが後遺症です。ベッドから起き上がれず、トイレに行くのも一苦労で、食事がとれない時期もありました。少しでも動くと疲れてしまい、何もできない日々が続きました。
 最終的に学校に復帰できたのは、感染後3か月ほど ()った頃でした。正直、学校に復帰するのが怖かった。こんなに長く休んでもう一度友だちと仲良くできるのか、勉強に追いつけるのか、すごく心配でした。けれど友だちは温かく私を迎え入れてくれ、先生にもたくさんサポートしていただきました。皆に追いつくのは大変だったけれど、家族をはじめ、先生、仲間のおかげで学校生活に慣れることができました。本当に、皆には感謝してもしきれません。
 そして学校に戻って気付いたことがあります。
 コロナにかかる前は、授業を受けるのが当たり前で、いつも「早く授業が終わらないかなあ」と考えていました。しかし、復帰してからは授業を受けられるって特別なことだ、新しいことを知ることができるってこんなに幸せなことなんだ、と気付きました。それから勉強に対する意識が変わり、今まで以上に勉強に取り組めるようになりました。
 後遺症が残ったことを悔やんだりはしていません。そのことを受け入れて、自分自身がより成長できたからです。そしてこれからも、もっと成長していきたいです。

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「留学」「大会」「勉強」自分史上一番の年 力強くもっと前へ

三重県 3年 中村 太一

 私は昨年の1年間で、いくつかの「初めて」を体験しました。
 一つめは「留学」です。夏休みに交通遺児育英会が主催する米国での海外語学研修に参加しました。初めての留学にわくわくしながらも、英語でしっかり会話ができるかどうか、とても不安で緊張したことを覚えています。ホームステイを通じ、日本とは異なる生活様式や文化を学びました。観光地を巡ったり、ショッピングをしたりとアミューズメントも多く、記憶に残る最高の体験でした。
 二つめは「大会」です。私は現在、高校で山岳部に所属しています。毎年5月に実施される県大会に、2年生になり初めて参加しました。他の運動部の大会とは違って、筆記試験、調理、体力勝負などたくさんの項目があり、大会準備も含めて大変で難しかったです。その一方で、チーム戦ならではの仲間の大切さ、ありがたみが感じられてよい体験になりました。
 三つめは「勉強」です。1年生の時は成績も右肩上がりで調子が良く、勉強に身が入っていました。しかし2年生になると勉強する気力が失せて集中できなくなり、苦しみと焦りが私を支配しました。ところが、夏休みの語学研修から帰国した後から私の中にあった何かが変わり、再び勉強に身が入るようになりました。
 もう二度と体験したくない苦しみでしたが、未知の経験ができたという面では、よかったのかもしれないと思います。
 この1年は私史上、一番の年でした。今年は受験で大変な年ですが、力強く前に進んでいこうと思います。

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「また作ってね!」誰かを幸せにするパティシエ目指す

北海道 3年 有働 (あおい)

 私はこの1年で将来の夢が大きく変わりました。もともと薬剤師になりたいと思っていましたが、今はケーキを作るパティシエになりたいです。
 きっかけは三つあります。
 一つ目は友だちの付き添いで行ったオープンキャンパスです。自分で一からデザートを作ってみると、作ることの楽しさと同時に、分量を間違えたり手順が違えば出来上がるものが全く違うという大変さも学べたからです。
 二つ目は、家族の誕生日に食べたケーキがすごく可愛(かわい)くて、とても美味(おい)しかったからです。自分にもこんな才能があればいいなと思いました。また、自分が作ったケーキを「美味しいし、可愛いからまた買いに行こう」と誰かに思ってほしいな、と感じたからです。
 三つ目は、自分が作ったマカロンやクッキーなどを友だちにプレゼントしたらすごく喜んでくれたことです。自分では「失敗しちゃったかな」と不安に思っていたのに、「美味しいよ!」「また作ってほしいな!」と、いろんな人から言われ、とても(うれ)しかったです。
 他の人に食べて、見て、楽しんでもらうというのが自分にはすごく心にグッとくるし、知らないところで誰かを幸せにできるパティシエという職業に強い憧れを抱きました。
 「パティシエは早朝から夜遅くまで大変」と聞きましたが、それでも誰かに幸せを届けたいし、自分にしかできないことをやりたいな、と思いました。自分自身の将来のために、今まで以上に勉強して、誰がなんと言おうとも「パティシエになる!」という目標を持って、弱音を吐かずに頑張りたいと思っています。
 夢は変わっても、学び続けるということは同じなので、常に新しいことを学んでいこうと思います。

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学んだ知識生かし世界と対等に取引 「商社マン」になる!

兵庫県 2年 小野 瑞姫(みずき)

 私の将来の夢は世界と対等に取引ができる商社マンになることです。理由は二つあります。
 一つ目は商業高校に進学して「お金」に興味を持ったからです。進学する前は、お金に無頓着だった私は、よく衝動買いをしてしまったり、無駄なものにお金を使っていました。しかし、高校の授業でお金の計算を細かくするようになり、企業のマーケティングの仕方を学び、とても面白く興味を持ち、お金と深く関わって商業の知識が一番生かせそうだと思ったからです。
 二つ目は、地理の授業の最初にニュースをいくつか見るのですが、よくアフリカの貧困、飢餓について取り上げられているからです。今、ロシアとウクライナが戦争していて、アフリカに届くはずだった支援が大幅に減りました。そこで「フェアトレード」に興味を持ちました。
 フェアトレードは前からあるものですが、スーパーなどではフェアトレード商品は値段が高く、認知度もそこまで高くないので、売り場の隅の方に置かれて売れ残っている印象があります。少しでも多くの人に買ってもらえるように、この商品を買うことで何のためになっているかを書いたラベルを貼るなど工夫したいです。そして、働いても食べ物が少ししか買えず、亡くなってしまう小さな子を減らしたいです。
 そのために、私は資格をできるだけたくさん取得し、将来に生かせるような学を身に付け、外国と取引できるくらいの英語力を養い、自分の夢をかなえるために頑張ります。

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読書離れの寂しさ けれど自分自身の変化を楽しみたい

東京都 2年 牧田 満月(みつき)

 昔から本を読むことが好きでした。本を読んでいる間、私はお姫様であり、会社員であり、探偵でした。何者にでもなれる感覚が好きで、時間を忘れて本を読んでいました。
 小説以外の本を読むことも多々ありました。それは知識として私の人生を、より豊かなものにしてくれました。時には本が友だちとのコミュニケーションのきっかけになることもあり、読書と私の人生は密接に関わり合ってきました。
 けれど、最近は本を読むことが減った気がします。もちろん宿題が増えて物理的に時間が取れなくなったということもありますが、それ以上に私の読書に対する興味が失われているように思うのです。
 家に帰れば動画も音楽も1台で済ませることのできるスマートフォンがあります。そのため、別段、読書という行為をせずとも楽しさを得られるようになりました。熱しやすく冷めやすい私が長い間夢中になった読書、それが自分の生活から少しずつ離れていく感覚には物寂しいものがあります。
 ですが、その変化を悲しむべきものだとは思いません。人は常に同じではいられない生き物です。思春期の私たちなら、なおさらのことです。一度しかない人生、変わることで取り返しのつかない結果につながるのではないかと不安になることもあります。しかし、一度しかない人生だからこそ、自分の変わっていく過程を楽しむべきです。
 これからも、自分の好きなものは変わっていくはずです。将来の私が熱中することは恋愛かもしれませんし、仕事かもしれません。今の私には想像もできないものかもしれません。私はその変化に気が付いた時に、変わったことを受け入れて笑って過ごせるような人になりたいです。

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「母に感謝」美しい歌声に魅せられて通い続ける合唱団

福岡県 2年 新本 智規

 僕は小学4年生の頃から地域の合唱団に所属しています。
 きっかけは友だちに誘われたことでした。それまで歌うことが特別好きというわけではありませんでしたが、合唱団の楽しい雰囲気と美しい歌声に魅せられ、入団を決意しました。
 1か月から2か月に1回、演奏会があり、毎週日曜日は朝から夕方まで練習をしていました。歌うことはもちろん、踊ることもあったので大変でした。ですが、演奏会でお客さんから拍手をもらえたことがとても嬉しく、歌うことが好きになっていきました。
 そんな中、僕が中学2年生に進級するという頃、新型コロナウイルスが現れました。それまで予定されていた演奏会は中止され、練習もできない日々が続きました。しかし、毎年行っている定期演奏会は実現させたいと、母や他の保護者の方々、OBの方々などさまざまな人たちが協力してくれました。そして、規模を縮小した形ではありましたが、演奏会を開くことができました。現在はシニア隊員として、新しい隊員たちと一緒に一生懸命練習しています。
 この合唱団に入らせてくれて、たくさんの経験をさせてくれた母には感謝の気持ちでいっぱいです。僕が歌うことを好きになれたのも母のおかげだと思っています。
 これからも大好きな歌をもっとたくさん歌いたいです。

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たくさんの体験を将来につなげたい 修学旅行での学び

大阪府 3年 F・H

 「もっと北海道にいたい」。最終日、帰りの飛行機の中でそう思いました。中学3年の修学旅行や高校1年の時のスキー合宿が中止になっていたので、高校2年での修学旅行は久しぶりの宿泊行事でした。
 僕自身は飛行機に乗るのが初めてだったので、緊張もしていて前日は全く眠れませんでした。飛ぶ瞬間はとても不思議な感覚でした。少したって外を見ると、当たり前のことだけど、雲より高い位置を飛んでいて、印象的な初体験となりました。
 北海道に着いて、まず国立アイヌ民族博物館で先住民のアイヌの人たちの歴史を学びました。何を食べて、どんな道具を使ってどのように食べ物をとっていたのか、どれほど環境を気遣って生活していたのかを詳しく解説してもらい、展示物を見学しました。その施設があるウポポイ(民族共生象徴空間)という場所は、広くてとてもきれいでした。
 別の日の農業体験では、プルーンの間引きや、リンゴの葉からアブラムシを除去する作業をしました。ここの農場の方は高校の農場体験で農業に興味を持ち、全く違う人生を送った後に「やっぱり農業がしたい」と思い、今に至ったそうです。時間がたっても、高校時代の思いが今につながっていることに驚きました。僕も今後はたくさんのことを体験して将来につなげていきたい、と強く思いました。
 最終日の一番の楽しみはラフティング(川下り)でした。これはチームの皆が息を合わせないとうまく進まないのですが、僕のチームは最速で、インストラクターの方に褒められて(うれ)しかったです。
 5日間を振り返ってみると、僕たちはたくさんの人たちのお陰でいろいろな体験ができた、と改めて思いました。この修学旅行での経験が、自分の将来につながっているかもしれないと思うとワクワクします。

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幼少期の思い今も ジェネリック薬品の開発に馳せる夢

愛知県 3年 天白(てんぱく) 礼乃(あやの)

 受験を控えた学年になり、将来の夢や大学について改めて向き合う必要があると思い、調べ、考えました。そうして決めた私の夢は、医薬品の開発や既にある薬と同じ効果が得られ、かつ低コストのジェネリック医薬品を作ることです。
 なぜこの職業にしたのかというと、私は昔から医療や薬を扱うことに興味があったからです。小さいころから体が弱く、薬に頼ることが多かったので、私にとって薬は貴重なものでした。なので、無料とまではいかなくても低コストで薬を提供できるジェネリック医薬品にとても魅力を感じ、貢献したいと思いました。
 また、いろいろ調べたことで化学分析員も新たな夢の一つになりました。化学分析員は物質に含まれる成分やその量などを知るため、化学反応や機器を用いて分析を行う仕事です。私はパズルがとても好きなので、パズルのようにHを解き明かしていくところに魅力を感じました。
 これらの夢を(かなく)えるために薬学部のある大学に進学し、化学分析技能検定を受検したいです。そのために今できることは、理科、とくに化学を伸ばす、さらに苦手な英語を克服することです。
 社会に出て実際にそうした仕事に自分が就いているかどうかは分かりませんが、後で振り返って「こうしておいてよかった」と思えるように行動していきたいです。

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経験こそ「宝物」 冬のイルミネー ションに感動!

群馬県 3年 榎本 舞雪(まゆき)

 中学校卒業後、ずっとコロナ禍の中での生活で友人と遊ぶ機会もあまりないまま過ごしていました。
 コロナの感染者数も減少傾向にあった2年生の時の12月、中学のころの友人と会う約束をしました。私は「会って話ができればそれでいい」と思っていたのですが、友人の提案は「電車で隣の県の有名なイルミネーションを見に行こう」でした。
 正直なところ、イルミネーション自体にあまり興味がなかったこと、電車での外出も、夕方からの外出も面倒だと思ったこと、そして何より寒さに耐えられないと思い、私はその提案に乗り気ではありませんでした。
 断るチャンスもなく、少々だるい気持ちで迎えた当日。新調したお気に入りの上着を着て、少しでも気分を上げて待ち合わせの駅に向かいました。
 北風が強く、昼間なのにとても寒かったけれど、友人の姿を見つけた瞬間、テンションは上がり、ワクワクが止まりませんでした。初めて乗る電車、初めて降りる駅、初めてのイルミネーション。光を見ることの何が楽しいのか分からなかった私が、到着直後からイルミネーションに心を奪われていました。
 映える写真を撮ったり、推しのメンバーカラーのイルミネーションを見つけたり、美味(おい)しいものを食べたり、久しぶりに会った友人と絶え間ない会話を楽しんだり。出かけるのを渋っていた少し前の私に伝えたいです。
 「激楽しいよ!!」
 乗り気でないこと、苦手なこと、何でも思い込みで敬遠せずに、経験してみれば楽しいことはたくさんあるんじゃないかなと思いました。経験することは自分の宝物が増えるということです。
 経験は宝物。

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周囲への恩返し「目指すは一番」 都大路を駆ける

佐賀県 2年 山口 綾

 私が通う高校は陸上競技の強豪だ。その学校を選んだ理由は、母をはじめ支えてくれている人たちに恩返しをするためだ。
 私は小2のころ、父を亡くした。以来、女手ひとつで育ててくれた母に恩返しがしたいと思った時、私にできるのは走ることだった。そして今の学校へ進学を決めたが、大変なことばかりだった。
 実家から部活の朝練に通うことは難しいため、私は下宿をしている。しかし下宿生活は簡単ではなかった。生活スタイルも何もかもが違って、なかなか慣れることができず、一時期、実家から通学していたことがある。
 その時、母は仕事前に私を高校まで送り、仕事が終わったら学校まで迎えに来てくれた。往復1時間40分の道のりは、毎日働く母にとって相当きつかったと思う。それでも私が落ち着くまで、母は送迎をしてくれた。
 また、私は自分のケア不足もあり、ケガが多い。その都度、母は病院や(はり)治療に連れて行ってくれ、練習靴も買ってくれる。
 さらに私には姉と兄がいる。姉は進学のため県外にいる。だが母が送迎できない時は姉が帰省し、私の送迎をしてくれる。それだけではなく、私が悩んだ時は必ず話を聞いてアドバイスをしてくれる。兄は下宿生活に疲れて帰宅した私の身の回りのことを手伝ってくれたり、自主練に自転車で付いてくれたりする。
 こうやって私を支えてくれる人のためにも強くなりたい。目標は都大路(=全国高校駅伝競走大会)を走ることだ。そのために常に向上心を持ち、練習を続けたい。私は家族が自慢できる存在になりたい。私が好きな言葉は「Aim for No.1」。目指すは一番。人として、選手として一番でありたいと思う。

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病児保育士へ!小学生の時から変わらぬ夢追う

静岡県 3年 山本 詩音(しおん)

 私は小学生の時から変わらない夢があります。
 それは、体調を崩して保育園などに行けなくなった乳幼児を保育する病児保育士です。たまたま病児保育士をテーマにしたドラマを見て、魅力を感じたのがきっかけです。近年は働く女性が増えており、少しでも子育て中の女性が仕事をしやすい環境を整えていきたいと考えています。
 私が幼稚園に通っていた頃、朝に熱が出てしまい、母に1日面倒を見てもらったことがありました。そうすると母は仕事を休むことになり、仕事場にも迷惑をかけてしまいました。このような時に風邪をひいてしまった子を預けることができるのが病児保育です。
 誰か知り合いに預けるだけでは、容体が急変した時に対応することができません。しかし、看護の知識がある人たちに子どもの世話をしてもらうことで、保護者も安心して仕事に行くことができます。私は保育園に行けなくなった乳幼児やその保護者の助けになりたいと思います。
 この目標を実現するには、さまざまな病状に対応することができるよう看護の知識を身につけなければなりません。そのため私は大学で人々の健康ニーズに対応した看護について学びたいです。そして、働く女性が生活しやすい社会の手助けをしたいです。

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先生に教わった「継続」の大切さ 高校で得た収穫

福岡県 2年 松本 諒馬(りょうま)

 高校生になり、時間が過ぎるのがとても早く感じ、一日一日をもっと大切にしないといけないな、と感じています。そこでこの1年を振り返ってみると、大きな収穫のあった年でした。
 まず、部活ではたくさん試合に出ることができ、自分に何ができるのか何が通用するのか、逆に何が足りないのかしっかり見直すことができました。
 昨年はあまり勝つことができなかったので、今年はもっと勝つことにこだわっていきたいと思っています。
 次に学校生活では、先生に「継続」の大切さを学びました。何か一つのことを毎日続けることによって、大きなものを手に入れられることを教わりました。僕は毎日筋肉トレーニングをしようと決め、現在も続けています。続けていくうちに少しずつ体が変わっているので、まだまだ続けたいと思います。行動させてくれた先生に感謝しています。
 学校生活での目標は、勉強で得意な教科の点数を上げて、苦手な教科は平均までもっていくことです。苦手なことを急に得意にするのは難しいと思うので、この目標を立てました。目標を立てることは簡単ですが、実行に移すまでが難しいので、しっかり計画を立てて実行していきたいと思います。

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勉強も部活動も先輩たちのように結果残したい

京都府 2年 橋本 淳司

 私は高校で頑張っていることが二つあります。
 一つは勉強です。中学の時は勉強はあまり得意ではありませんでしたが、高校入学後は大学に進むかどうかはわからないけれど、進学したいと決めた時に備えて勉強を頑張っています。中学では取れなかった「5」の評価が、高校に入ってからは取れるようになってきたので引き続き頑張ります。
 二つ目は部活動です。私はソフトテニス部に入っています。私が通う学校はとても強く、実績も数多くあります。たとえば団体戦で近畿3位に入って団体戦では初めての全国選抜大会出場を決めたり、昨年はインターハイ出場を決めたペアが3組いました。
 ただし、これらの結果は先輩や同級生が残したものであり、私自身は練習試合などでもあまり勝てなかったり、結果を残せていませんでした。このため、「なぜ勝てないのか」「上手な人と自分では何が違うのか」と、自分なりに分析してみました。そして、分析してわかったことを試しながら練習すると、どんどん打てるようになり、練習試合でも勝ち越すことができるようになりました。
 これからも引き続き部活動を頑張り、自分も先輩たちのような結果を出せるようにしたいです。

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「芸術の価値とは」ロックバンドのアルバムに共感

鹿児島県 2年 赤岩 (ひかる)

 私は最近、日本の2人組ロックバンド「ヨルシカ」の「盗作」というコンセプトアルバムを買いました。主人公は既存の楽曲を組み替えて作曲をする人、いわゆる“音楽泥棒”です。このアルバムにはベートーベンの「月光」などクラシック作品が引用された曲なども収録されていて、男が音楽泥棒になった動機や、その男の生涯が記された小説も付属しています。
 この作品を通して語られるのは、「芸術の価値はどこにあるのか」という問いです。
 男は国際祭典のメインテーマの作曲を依頼されるほどの名声を得ました。けれど、それらの曲は街から漏れ聞こえる音をレコーダーに録音して周到に組み替え、時にはそのまま引用して組み上げたもの。そんな彼は「バッハの時代で作曲は終わっている、とどこぞの誰かが(うそぶ) いたそうだが、その通りだとすら思う」「たった十二音階のメロディが数オクターブの中でパターン化され、今この瞬間にもメロディとして生み出されている」などと主張しています。
 近年、ある曲に対して「〇〇のパクリだ」などと言われるのをよく見聞きします。私も初めて曲を作って分かったのは、どんなに工夫をしてもよく聞く音だったり、リズムだったりと、何かに似たメロディになってなかなかうまく進まなかったことです。
 彼はほかにも「作品と本人を同一視している」「こんなことをした人間だから、という理由で評価を下げて見てしまう」と言っています。彼の言う、「作品にのみ価値は宿る」という考え方にかなり共感しました。

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