高校奨学生の声

将来見据え工業高を選択 夢は自動車会社への就職

佐賀県 2年 山口 七星(ななせ)

 私の将来の夢は、自動車を製造する会社に就職することです。
 なぜそんな夢を持ったかというと、中学生のころに見た「ワイルド・スピード」という外国の映画がきっかけです。主人公が乗っていた日産のスカイラインGT―R(R34)を見て「かっこいい。自分も乗ってみたい」と思い、車のことが好きになって、車のことをもっと知りたいと思ったのです。
 私はこの夢を実現するため、一番適した学校を決めるのに悩みました。自動車の専門的なことを勉強し、自動車関係の資格が取れる市立の学校か、それとも電気科のある工業高校か―で、迷ったのです。その理由は、これからの時代は、ガソリンよりも電気で走る車が多くなってくるという考えがあったからです。
 市立の高校に行けば、自動車の専門的な知識を得て、就職してもすぐに生かすことができる。けれど今後は電気自動車が増え、生活に欠かせないものになる。となると、工業高校へ進み、電気の知識を深めることも必要になると考えました。
 そして私は電気科のある工業高校へ進学を決めました。この高校を選んだのは、車がガソリンで走る時代から電気で走る時代へと移っていく変化に対応するには、電気の知識を持つことが最も必要だと思ったからです。
 私は夢に少しでも近づけるように、いろいろな資格を取ろうと努力しています。最近では、第二種電気工事士の資格を取ることができました。今後、危険物取扱者、有機溶剤作業主任者などの資格を取ることを目標にしています。

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研修応募を機に前向きに 何ごとにも積極的に挑戦

北海道 3年 西澤 穂乃果

 新型コロナウイルス感染の拡大に伴い、昨年はずっと人との接触を避けて過ごす日々でした。学校行事も中止になるなど悲しい出来事も多かったのですが、その分、嬉し いことや新しい心境の変化もありました。
 一番大きかったのは部活動です。
 私は野球部のマネジャーをしていますが、高校野球も昨夏は選手権大会が中止になってしまいました。試合で活躍する先輩を見ることができないのがとてもショックでしたが、後に代替試合を開催してくださることが分かり、とても嬉しかったことを覚えています。私も先輩方を応援することができ、悔いの残らないかたちで部活動に取り組むことができてよかったと思います。
 また、自粛期間中に普段あまり読めていなかった本を読んでみたり、新しい言語の勉強を始めたりと、たくさんのことに挑戦することができました。私がこのように積極的に行動できたのには、一つのきっかけがありました。
 それは海外語学研修への応募です。諦めてしまうことが多い私でしたが、せっかくの機会と思い、挑戦しようと決めたのです。結果として海外へ行くことはできませんでしたが、応募してみようという決断が、私の気持ちをより前向きにしてくれたのだと思います。
 この研修を企画してくださっている交通遺児育英会の方々や、支援してくださっているあしながおじさんには本当に感謝しています。今年は受験生として、悔いのないように勉強を頑張りたいです。

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コロナで「自分」を考えた 受験に向け悔いない年に

山梨県 3年 内藤 雅(みやび)

 2020年は今までで、いちばん思い出の少ない年だった。
 コロナの影響で、学園祭の延期や修学旅行の中止など楽しみにしていた行事がなくなり、悲しい知らせばかりだった。けれど自分自身にとっては良いこともあった。
 一つは、自粛期間中に自分のやりたいことをたくさんしたことだ。これまでなかなかできなかったお菓子作りや散歩をはじめ、やりたかったことをたくさんした。そのおかげで、自分は何が得意なのか、見つけることができた。
 二つ目は新しい学年に進級し、今まで話さなかった人と仲良くなれたことだ。1年生の時はあまり話をしなかった人と2年生で同じクラスになり、お互いの共通点がたくさんあると分かって仲良くなった。新たな部活動も始めたため、部内でも新しい友だちができた。
 結果、学校生活がとても楽しく、充実している。
 今年は受験勉強というストレスもあるが、友だちのおかげでストレスが少し和らいだりもする。昨年は、そんな大切な人たちに出会えた年だった。
 もっとも、友だちとたくさん遊んだ半面、今年は受験勉強を怠ってはいけないと感じる。全く机に向かわない日も少なくなかったのだが、このままでは受験の時に苦労すると思う。勉強もしっかりやっていこうと決めている。
 2020年は自分のことを深く考えることができた。今年は受験勉強に集中しながら、悔いのない年にしたい。

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中2から思いは変わらず 目指せ!憧れのテレビ界

香川県 2年 古瀬 満里絵

 私の将来の夢はテレビ番組の制作に携わる職業に就くことです。
 中学2年の時に「関ジャニ∞クロニクル」という番組をたまたま見て、出演者とスタッフの人たちの距離の近さに驚きました。それまでよく見ていたニュースでは、スタッフの姿も声も入らず、アナウンサーと視聴者だけという空気で、他の番組でもそれが当たり前だと思っていました。
 しかし、「関ジャニ〜」では他のバラエティー番組のような効果音の笑い声ではなく、番組を作っているスタッフの笑い声でした。笑い声が実際にその場にいる人たちの声に変わるだけで、一気に臨場感が増し、とても面白く感じました。
 今まで「テレビ=特別な世界」と思っていたのが、裏方の人たちの存在がわかったことでより身近なものになり、他の番組を新たな視点で見ることで世界が広がりました。それまで、あまり将来について考えてこなかった私にとって、こんなに楽しい仕事があるということは驚きでした。
 高校生になると、自分の未来の姿や、何がやりたいのかなどを決めていかなければならなくなってきます。メディアとは関係のない、他の職業についても調べる機会はありましたが、自分が感じた楽しさや緊張感、さまざまな感情を直接相手に届けることができるのはテレビ番組制作だということを強く感じました。
 未来の自分なんて全く想像もしていなかった中学2年生の自分が、テレビ番組を作る誰かとそれを見る誰かが同じ感情を共有できるような素敵な番組を作りたいと初めて思い、今もずっと同じ思いでいます。

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部活動でも学校生活でも友情の大切さ知った一年

岩手県 3年 橋野 義明

 昨年は多くのことを経験し、多くのことを学んだ1年間でした。特に部活動は大きな影響を与えてくれました。
 私は硬式野球部のキャプテンとしてチームを引っ張っています。当初は伝統校の野球部主将というプレッシャーをものすごく感じていましたが、現在はチームのために何ができるのか、勝てるチームになるためには何が必要なのかが分かってきました。
 とはいえ、チームをまとめるということは簡単ではありません。全員が全員のことを考え、切磋琢磨しながら活動しない限り、一つのチームにはたどり着きません。そのために、全員が全員に言いたいことを言えるような環境づくりを徹底しています。そうすることで互いに遠慮せず、信頼が生まれ、良い方向へ向かうはずと信じています。
 キャプテンという立場を通じて、成長するために必要なもの、周りとの良好な関係、またそれを築く力を身につけることができました。
 部活動以外の学校生活からも多くを学びました。例えば、友情についてです。学校では友人と過ごす時間が多く、授業前などは勉強を教え合っています。そうした何気ないことからも、「一緒に頑張るのはいいな」と思うようになりました。友人と一緒にいることで楽しいことがたくさん起き、友情が深まっているように思います。
 これからの生活で、高校時代の友人は一生かかわりをもつことになると思います。困った時は互いに助け合い、良好な関係を続けていくことが大切です。私にとって友情とは、とても大切なもので、これからも深め合っていきたいと感じています。

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部活、文化祭…中止でも最後まで私たちらしく

長野県 3年 北村 望美

 コロナが流行してから、私の周りのさまざまなことが変わりました。昨年は、特に印象深かったことが二つあります。
 一つは高校総体の中止です。コロナの流行当初は、「休みになってラッキー」くらいにしか思っていませんでしたが、自粛生活が始まると何もすることがなく退屈でした。そんな時、「高校総体中止」のニュースが飛び込んできたのです。
 部活のバドミントン部で緊急ミーティングが開かれたのですが、先輩方は皆、暗い顔をしていました。先生は「代替の大会があるようだけど、それに出るか、引退するか、どちらかだよ」と話し、代替大会は夏以降とのことだったので、先輩方は受験に響くことを考え、引退という決断をしました。泣いている先輩もいました。私は悔しくて悔しくてたまりませんでした。けれど、先輩方の引退後、後輩たちを引っ張っていくことになった私たちはコロナの逆境をバネに、練習できることに感謝しながら頑張っています。  もう一つは文化祭です。例年通りの開催はかなわず、代わりにクラスマッチをすることになりました。私はソフトテニスを選択し、クラス替え以降、まだしゃべったことのない子とペアを組んで練習しました。その成果か、全校3位に入賞しました。優勝には及ばなかったけれど、クラスで団結することの喜びや楽しさを味わえました。
 今年は普通の文化祭が開催できるよう願いたいです。沖縄への修学旅行も中止になってしまいましたが、残りの高校生活の中で、私たちの学年は私たちらしさを思う存分に発揮したいと思います。

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コロナ前より充実の時間 禍乗り越え「人生の糧」に

北海道 3年 西村 澪

 昨年はコロナの影響もあり、いつもと違う高校生活を過ごしていました。学校祭や体育祭などの行事は中止になり、修学旅行も延期されました。高校に入学したころは、こんなことが起きるとは思ってもいませんでした。しかし、私自身は1年生の時よりも楽しく過ごすことができました。
 一例を挙げると、自分の時間をたくさん持てたことです。コロナ感染症が拡大してきた昨春、学校は3か月間ほど休校になりました。課題が多くて大変でしたが、母と公園に行ったり、ほぼ毎日絵を描いたりと充実した時間を過ごしました。母の仕事もお休みになったので、こんなに長い時間、母と一緒に過ごすのは小学生以来のことだったと思います。改めて家族と過ごす時間の大切さを感じました。
 再び学校に登校できるようになった時は、それはもう楽しみで仕方がなかったです。2年生では文系、理系にクラスが分かれるので「気の合う人が多いといいなあ」と思いながら登校していました。
 入学したばかりのころは自分から話しかけるだけでとても緊張しましたが、今回は自分から積極的に周りの人に話しかけました。そうすると、遠い席の人も話しに来てくれて、とても嬉しかったです。
 マスク生活が続く中で、クラス全員の顔を認識するのに時間はかかりましたが、今では顔も名前もバッチリです。授業やテストで分からない部分を教え合ったり、冗談を言って笑ったり、本当にこのクラスで良かったと思っています。
 先生方にもとても感謝しています。修学旅行が中止にならないよう工夫していただいたり、受験の準備に向けて気持ちを引き締めていただきました。そのおかげで生徒は落ち着いて学校生活を送り、大きな問題は起きていません。
 直面しているコロナの時代は、教科書に載るくらいの重大な出来事だと思っています。「当たり前」がそうではなくなったのです。このコロナ禍を乗り切ることは、人生の糧になると思います。感染防止対策をしっかりして、コロナの時代を乗り越えていきたいです。

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自分をバージョンアップ 文系から理系へチェンジ

神奈川県 3年 野村 美月

 昨年はコロナ禍による自粛期間がかなり長かったのですが、私は全く苦になりませんでした。
 趣味や好きな物、好きな事が増え、以前の私より感受性が豊かになり、たくさんの考えを理解できるようになったと思います。自分の中身のベースがバージョンアップしたような感じです。
 勉強面では、かなり変化がありました。このコロナ禍でさまざまなことを考えた結果、文系だった私が理系になったのです。一気に方向転換しました。そして、進路変更に伴い、自分がこの先どう生きていくのか、どう生きたいのか想像し、少しですがビジョンが見えてきたのです。
 自分がそうなるために何が必要なのかを具体的に考え、現在高校生である自分がしておくべきことは何なのか、ということも日ごろから念頭に置いています。こうしたことができるようになったのも、やはり理系に転換したからです。
 将来は、仕事のやりがいや自分に適した職が希望ですが、いろいろ思い描いていることを実現するには勉強が必要不可欠です。加えて人間性を、自分の長短所と向き合いながら、人との関わりの中で成長させたいです。進路実現に向けて努めます。

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スケートボードがつないだ「一生の友だち」

青森県 3年 高田 裕基

 去年の出来事の中で一番の思い出は、「一生の友だち」と言える人に出会えたことです。
 その人は2つ上の先輩で、趣味のスケートボードがきっかけでした。最初は挨拶をするだけの仲でしたが、ある日2人で滑ることがあり、意気投合したのです。以来、毎日のように一緒にスケートボードをしたり、ドライブに出かけたりしました。悩みの相談にも乗ってもらい、とても助かりました。
 先輩は1月に故郷の岡山へ帰ってしまいましたが、今もよく連絡を取っています。自分が初めて素(す)を出せる親友の先輩ができたのは、良い思い出になりました。コロナで遠出はできないけれど、収束したら次は自分が親友のもとへ行き、たくさん思い出を作ろうと思います。
 今年は高校3年生になり、進学希望の自分にとって受験を控えた大事な1年になります。進学に向けてテストの成績を上げ、志望校に合格できるよう頑張ります。同時に、建築の国家資格・施工管理技士資格の取得を目指します。スケートボード、スノーボードも上達したいと思います。

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将来は警察官に 勉強もラグビーも一生懸命

兵庫県 3年 寺前 勇成

 僕には小さい頃からの夢があります。それは警察官になることです。親せきの警察官の方から仕事の内容を聞き、とても興味を持ったことと、人の役に立ちたくて人を守ることを仕事にしたいと思ったからです。
 警察官になるには、勉強が大切だと思います。自分は数学がとても苦手でしたが、普段から努力して勉強すると、苦手意識を克服して、数学が好きになりました。何かに努力することはとても大切だと思います。これからも学校を休まず、勉強を頑張りたいです。
 部活はラグビーをしています。ラグビーの経験が全くなかったので難しかったのですが、チームメートと声を掛け合いながら練習することで、少しずつ上達することができました。秋には最後となる総体がある予定なので、それへ向けて頑張ります。
 学校はとても楽しいです。学校に行くと友だちに会えて、勉強や部活など自分のやりたいことがあります。学校に楽しく行けているのはお母さんのおかげであり、たくさんの方に支えていただいているからだと思います。感謝の心を忘れず、夢を実現してたくさんの方に恩返しできる人になりたいです。

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コロナ禍での挑戦と変化 当たり前の生活に感謝を

愛媛県 2年 内村 姫那

 高校に入学して早々に休校が始まり、盛んなはずの学校行事も多くが中止、縮小されました。期待に満ちた日々は次々と奪われましたが、決してそれだけではありません。
 私は高校で二つの部活動に入部しました。内気な性格の私が、知らない人ばかりの部活動に入ることは、私にとって「挑戦」でした。
 二つの部活動のうち、一つは英語で討論をしたり、地域、日本、世界の諸問題について深く考える部活動です。外国人と交流する機会が多くあり、言語能力や新たな見方、SDGs(持続可能な開発目標)といった、私が知らなかった知識を身につけることができました。
 また、他校の生徒や大学生と地域創生についても考えました。対面が難しいためオンラインでの開催でしたが、新たな試みにもかかわらず、時代に応じた臨機応変な対応ができていることを実感しました。また、今まで自分の考えを人に発表することが苦手だった私が、自分の意見を積極的に主張できるようになりました。これは私にとって大きな「変化」でした。
 入学後の1年間で大切な人と会う機会や楽しみにしていたイベントなど失ったものも多くありました。その半面、学んだこともありました。当たり前は決して当たり前ではなく、日々の生活に感謝することが大切だと思います。コロナの影響を多く受けながらも、充実した1年だったと感じています。この経験は必ずこれから役立つと考えています。時代に対応した生き方が求められる中、私自身もさらに成長したいと思います。

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エスペラント語と出会い、新しい見方が

愛知県 2年 長江 彩花

 先日、〈ハルチカ〉という小説のシリーズ第2巻『初恋ソムリエ』(角川文庫)を読みました。私は本がとても好きなのですが、中でもこのシリーズは、学園ミステリーでありながら、青春や社会に関する問題にも目を向けた味わい深い作品です。物語の中に登場したエスペラント語という言語に興味を持ちました。
 物語の重要な鍵を握るエスペラント語ですが、これは国籍を持たない人工言語です。ポーランドのルドヴィコ・ザメンホフによって考案され、共通の母国語を持たない人々の間での平等な意思疎通のための言語だとされています。生まれながらしゃべる人間は一人もいない、全員が同じスタートラインで学ぶことができるという点で、とても魅力的で可能性に満ちた言語だと思いました。 
 私が最も悩んでいる教科は英語です。中学生の頃から英語を学ぶことは、自分の世界が広がっていくようで好きでした。しかし、高校生になってからは、その圧倒的な単語量と単語の小テスト、細かく分岐した文法を吸収しきれず、好きなのに成績は伸び悩むという状況が続いていました。中学英語とのギャップに焦り、語学学習自体に疲れ果てていた私に、改めて言語の面白さを教えてくれたのが、このエスペラント語です。
 エスペラント語には、初心者にも分かりやすいルールや日本発祥の単語、たとえば「日本酒」は「サケーオ」というなど、単語同士の意味のつながりを見出す楽しさがあります。思えば、英語を好きになったのも、言葉の成り立ちやつながりに魅かれたからでした。
 エスペラント語と出会い、言葉を通して新しい見方や考え方を知る楽しさを、改めて思い出すことができました。今後の生活においても、新しいことを学んだ時の新鮮な気持ちを忘れず、自分なりに学びを楽しむ努力を欠かさずにしていきたいです。

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通信制高校へ転学 空いた時間を仕事に

滋賀県 3年 冨岡 翔太

 私は2年生になる一昨年の4月に通信制高校へ転学しました。新しい学校はほとんど通う必要がなく、レポート課題の提出など最低限のことを守っていれば後は自由です。通学するのは週に1、2日程度です。時間に余裕があるので、仕事を始めました。主に工事現場での作業でさまざまなことをしました。建築物の解体、道路工事、建築内装、足場組立・解体、建築板金、型枠組立など。古民家の解体現場では、すすで全身真っ黒になりました。すす竹は黒光りしていてきれいで、価値があることを教えてもらいました。建築内装では、部屋が出来上がっていくことが面白かったです。暑い日も寒い日も、雨に一日中打たれながらの時もあり、つらいことも多いのですが、今まで知らなかったことを知ることができました。普通科の高校ではできないことをたくさん経験できました。
 給料がもらえるのが、とてもうれしかったです。その給料で中型バイクの免許を取得し、中古バイクを購入しました。友達と一緒に走りに行くのが一番楽しいです。もちろん交通安全には十分注意しています。
 この1年、コロナ禍でも土木・建設業の現場はストップせず、充実した時間を過ごせたと思います。やりたいことを見つけて、そのために必要なことを自分で稼いで準備してやっています。自由で楽しい分、厳しいことも責任もありますが、充実しています。
 目標は卒業です。一度はあきらめた卒業ですが、絶対したいです。そして、今までの経験を活かして自分に合うところに就職したいです。

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復讐心で人を裁く 新たな犯罪を生む

広島県 2年 松浦 朱杏

 私が読んできた小説の中で最も深く心に残っているのは、小林由香さんの『ジャッジメント』(双葉文庫)です。大切な人を殺された時、両親や子どもなどが犯人に被害者と同じ目に遭わせることができる復讐法≠ニいう法律が生まれた日本が舞台。主人公は復讐人ではなく、復讐法を選んだ人々を見届ける応報監察官です。物語は、息子を殺された父親が殺した高校生に復讐法を使い、その高校生の母親によって殺されたり、祖母を殺された母親が実の娘に復讐法を使い、憎かった娘の優しさにやっと気づいたり。また、自分と妹を虐待し、妹を死に追いやった両親に10歳の少年が復讐法を使った上に何も食べずに過ごし、死んでしまうという逸話など。途中読むのがつらくなりやめてしまいたくなるくらい、悲しく重い内容でした。あらすじを見た時、現実世界でも被害者と同じ目に遭わせてやろうと考える人がいて、それを実際に行動に移し、犯罪者になってしまう人がいます。だから、復讐法はあってもいいのではと思っていました。でも、読み進めていくうちに、人を復讐で裁くことは不可能であり、人を正しい法で罰することがどれだけ難しいことなのか深く考えさせられました。〈大切な人を残酷な方法で殺した犯人は憎く、同じ目に遭って死んでほしい。殺したい〉という気持ちは理解できます。でも、その憎しみだけで、復讐を選んでしまうと、人を殺した犯人と同じになってしまったという後悔に圧しつぶされたり、新たな犯罪が起きる原因となって、誰も幸せにならないと教えてくれました。この本は、自分の安易な考えを改めさせてくれる大切な1冊で、みんなに読んでほしいです。

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3週間の米国ホームステイで人生観が変わる

千葉県 3年 川田 梨彩

 一昨年一年間で、私はとても貴重な体験をすることができました。それはアメリカへのホームステイです。中学生の頃から海外へ行くことに興味はありましたが、自己負担での留学はとても高いし、旅行は親の休みの関係で遠くへは行けませんでした。それに加え、父が他界し、海外渡航の望みはますます薄れ、その時点では断念するしかありませんでした。
 「大人になって自分でお金を貯めて行こう」。そう思い始めていた時に、奨学生を対象としたホームステイ募集を見つけ、「これだ!」と思いました。募集要項に書かれていた英語の資格を取得するための勉強は、自分でも驚くほど楽しくて、何ら苦ではありませんでした。それくらい、私は楽しみにしていたのです。それからしばらくして参加が決まり、心の中はアメリカのことでいっぱいでした。
 友達にたくさん自慢して迎えた夏休み初日、ついに私のホームステイ生活が始まりました。ただでさえ短く感じる夏休みの3週間。アメリカにいるのだから、それはいつも以上に短く感じることを予想していました。が、結果的にそれは、半分当たり、半部外れました。確かにあっという間に時間が過ぎていきました。でも、いつものようにダラダラ過ごしたのではなく、毎日が本当に充実していたので、とても濃厚な時間になりました。
 帰国してから、私の中で海外に対する意識がガラッと変わっていることに気付きました。今までは「勉強させられている」と思っていた英語も、海外の子とコミュニケーションをとるためのものだと分かり、初めて「もっと知りたい! 話せるようになりたい!」という気になりました。
 たった3週間でこれだけ人生観が変わるのだから、これからもっといろいろな経験をしたいと強く思っています。挑戦して良かったと心の底から思える、そんな貴重な出来事でした。 

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イラストを描き続けていきたい

長野県 3年 丸山 綾音

 今、私は勉強の他にもがんばっていることがあります。それはイラストを描くことです。元々、絵を描くことは得意ではなかったけれども、友人に「うまいね」「あやねちゃんの絵、好きだよ」と言ってもらえることがあって、だんだんと絵を描くことが好きになって、努力をするようになり、今では毎日イラストを描いています。日々の積み重ねにより、画力も上がり、うれしいです。アナログだけでなく、デジタルにも取り組んでいます。
 これを通して、「好き」という気持ちはすごく強いんだなと思いました。絶対、以前のように「苦手」と思っていたら今の私はいないと思います。「苦手」を「好き」に考え方を変えるだけで、私の世界が一つ広がった瞬間でした。これからも勉強と同じようにイラストをがんばっていきます。それは完全に私のアイデンティティーの一つになっています。「好き」の気持ちをこれからも大人になっても大切にして生きていきたいです。  

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選ぶものは青色ばかり

山口県 3年 道下 亜美

 私は昔から青色が大好きです。眼鏡にしても服にしても青色ばかりで、選ぶものも青色でなければ興味が湧かないほどです。しかし、なぜ私がそこまで青色に執着するのかは、今でも分からないままです。
 ところで、青色が象徴するものとしては、聖母マリアが代表的です。絵画にしても像にしても、慈愛に満ちたその姿を包み込むのは青色の布でした。「母」といえば、「母なる海」というフレーズが有名です。今は亡き父が私をバイクに乗せて連れて行ってくれたのも、広大な海辺でした。今でも、運転する父に掴まる感覚、橋の下で白波を立ててうねる海の力強さを思い出します。父が運転していたのは大型のバイクですが、そのバイクとバイクが走っている橋というのも、海が動けば、すべて水の中へ還ってしまう。有無を言わさぬ力と、慈愛の美しさ、それらを備えている海を昔の人は聖母に重ね合わせ、共通したものが青色だったのだと、私は考えます。
 このように、私は自分が青色を愛している理由について考えますが、今まで青色について考えた中の結論は、全てが違うようで合っているような気がするだけです。きっと、自分は青色が好きになる性格なんだというところで、今は落ち着いています。
 私にはまだ大学受験があるので、青色が好きな理由は、また暇のある時に考えようと思います。

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模型作りができる専用の作業部屋を

岩手県 2年 及川 聡太

 高校ではとても楽しい毎日を送っています。何が楽しいのか、それは日々の部活動や勉強とも言えますが、一番なのは「趣味の合う人と話ができる」ということです。中学の頃は趣味の合う人があまりいなくて、会話の話題を見つけるのに大分苦労しましたが、今はそんな必要もありません。今まで他人に対して隠していた自分をさらけ出せるような気がしてとても解放的な気持ちになります。
 自分の将来の夢についてですが、「今やっている好きなことを変わりなく続けられる」ことができればよいです。
 私は車の模型作りに熱中しています。1枚のペラペラの紙から作り上げる。この楽しさに気づいたのは8年くらい前のことです。これまで3百台ほどの模型を作ってきました(ほとんど劣化でボロボロですが)。
 今は材料も道具もそろっていますが、一つだけ足りないものがあります。それは「作業スペース」です。将来、一人暮らしをするつもりですが、作業する部屋を設けたいと考えております。将来は趣味を楽しむ生き方をしたいものです。
 将来への道筋はまだ決まっていませんが、今後、必ず決めることになるでしょう。思い通りの生活に近づけるよう、日々、努力していきたいです。

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映画で流れる歌が私の人生観を変えた

岡山県 2年 大田 悠仁

 好きな映画は、ヒュー・ジャックマン主演のミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」です。ショービジネスを自ら生み出し成功させた男、P・T・バーナムという実在した興行主の波乱万丈の生涯をドラマティックに描いた作品です。
 最近、映画にはまり、初めてミュージカル作品に挑戦してみたのですが、初めてにしては良すぎました。監督のマイケル・グレイシーは、昨年日本で公開された「ロケットマン」の監督でもあり、両作品とも予想を裏切らず、余韻に浸れました。
 「グレイテスト・ショーマン」はP・T・バーナムを中心に、サーカス員との友情、家族との愛情、フィリップとアンとの叶わない恋など、いろいろな感情や情景が移り変わっていきます。はじめは金もうけのためのサーカス団でしたが、フィリップやサーカス団員に心を動かされていくP・T・バーナムの様子を見て、思わず心が打たれました。世間が見放してもフィリップとサーカス団員はP・T・バーナムを見放すことはなく、両者間に生まれる強い愛に、私は目が離せませんでした。
 劇中に「This is me」という曲が流れるのですが、この曲は、私が落ち込んだ時に必ず聞くようにしています。はじめは自分の欠点を恥じる暗い曲なのかと思いましたが、けっしてそうではなく、欠点すらも強みに変えていく、ありのままの自分を歌っている歌詞です。本当に元気づけられます。この歌詞が私の人生観を変えてくれました。最高の映画です。

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どこの家族よりも最高で最強な家族です

福岡県 3年 花田 真帆

 お父さんは、私が3歳の時に亡くなりました。でも、その3年間は、周りの人が17年間注がれた愛情よりも、たくさんの愛情を注がれた自信があります。私は2人目の子だからお父さんとの写真は少ないです。でも、何枚かしかない写真が私にお父さんという存在をしっかりと残してくれています。お父さんは優しくて近所の人にも好かれ、とても良い人だったと聞きました。世界にたった一人の自分のお父さんがそういう人柄で良かったと心の底から思います。今は家族が4人じゃなくて3人だけど、皆で協力して暮らし、楽しく幸せです。
 お姉ちゃんは、小さい時に父親と一緒に事故に遭い、その時からずっとPTSDという障がいを抱えていて、すごく大変な思いをしてきています。だけど家族一のムードメーカーで、たくさん盛り上げてくれます。私がつらい時は笑わせてくれたり、ダメな時は叱ってくれたり、面倒くさいなと思う時がたくさんあるけれど、2人目の母親のような存在です。
 そしてお母さんは、友達ではないのかと思うくらい私たちのノリではしゃいでくれます。いつも大変と言いながらもお弁当を必ず作ってくれます。落ち込んだ時は慰めてくれて、テストで私なりの良い点を取った時は、たくさん褒めてくれます。周りから見ると甘やかしすぎだと思われるような感じだけど、そんなお母さんは世界、いや宇宙一だと思います。大変な仕事をがんばってくれて、本当に感謝で一杯です。そのがんばりを無駄にしたくないので、私にできることは全力で成し遂げたいと思っています。これからもつらいこと、楽しいこと、おもしろいことは3等分して過ごしていきたいです。私の家族はどこの家族よりも最高で最強です。

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親へ感謝の気持ち

青森県 3年 林 勇一

 私がいま、自分のなりたい職に就けるように勉強ができているのは、まぎれもなく親のおかげだ。
 まず母へ。毎日私のために朝、晩と働いてくれている。母がいなければここまで幸せな生活を送れていないと思う。私のやりたいことはすべて協力してもらい、生活の上で嫌だと思うことは何もない。「毎日同じご飯でごめんね」と謝ってきますが、私はそのご飯を食べられるだけで幸せだと思っている。
 そして父へ。私が将来なりたいと思っている和食調理師になりたいと思ったきっかけを作ってくれた。父はずっと私の頭の中にいる。他の人と比べたら、一緒にいる時間は短かったかもしれないが、私は誰よりも父と一緒に過ごせた時間を幸せだと思っている。特に、父が一番好きだった魚釣りは形を変えて今、私の夢になっている。教わった魚と触れ合う楽しさを教えてくれてありがとう。これからも空の上で家族を見守ってください。

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油絵の楽しさを知る

愛知県 2年 芳賀 依子

 この1年最もがんばったのは美術部の活動です。水彩画を描いていた中学時代と違い、高校は油絵中心で自分にとっては生まれて初めてのことだったので最初はなかなかうまく塗れませんでした。水に溶かして使う水彩絵の具とはまったく違う、チューブから出す濃くて重たい絵の具、硬い筆、自分で張ったキャンバス、すべてが新鮮でした。
 私は神社を描きました。建物は少しでもバランスが崩れると一気にぐちゃぐちゃした印象になってしまうので、下書きはちゃんとバランスがとれているかを確認しながら、細かくやりました。しかし、細かく描きすぎてしまい、キャンバスが下描きに使用した木炭で真っ黒になってしまい、時間もすごくかかってしまいました。やっと塗り始めた時には、半分ほど終わっている子もいて、期限まで時間がなく冬休みの間、できる限り学校に来て油絵を塗りました。
 塗り方も何もわからない状態だったけれど、とりあえず色を置いてみることにしました。影になる部分に青、光の当たる部分を黄色で塗り、大まかな陰影を付けていきました。毎日片づけをする前にその時の状態を写真に収めました。写真に残すと、全体を見ることができて、どこをやるべきなのかがはっきりします。完成した後、撮った写真を順番に並べてみていくとだんだん出来上がっていくのがわかり、とても達成感がありました。
 私はこの1年で油絵の楽しさを知りました。

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通信制でがんばる

東京都 2年 佐々木 希

 高校に入学しました。それは私にとってとても大きな一歩でした。中学3年間学校へ行くことができませんでした。担任の不平等な指導や同級生のからかいが原因でした。毎日部屋に引きこもりイラついて、時に家族につらく当たったりもしました。それでも母はやさしく見守ってくれて、「学校へ行きなさい」とは言わず、「ちゃんとご飯食べなさい」とか「朝起きて、夜はしっかり寝なさい」と、私を気遣ってくれました。
 2年になると新しい担任が家庭訪問をしてくれるようになり、少しずつ勉強を始めました。進路を決める3年の冬、自宅近くの通信制の高校に進むことに決めました。この学校は私と同じようにいじめなどで不登校になった生徒が多く、通信制で一人一人の事情に配慮してくれる高校でした。とはいえ、私にはすべてが一からの挑戦です。前期期末試験では、朝早くから試験対策のプリントを片手に必死で勉強しました。母も一緒に手伝ってくれました。おかげで総合や国語で満点を取るなど、初めて努力が形となって表れました。まだ、人付き合いには不慣れなこともありますが、少しずつ克服できたらと思います。

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