高校奨学生の声

中学校の教師になるのが夢

大阪府 2年 瀬々倉 賢胡

 私には夢があります。中学校の教師になることです。それには深い理由があります。
 中学1年のとき、私はまったく勉強をしませんでした。自分は賢くはなれないと思い込んでいたからです。そのときは努力することの大切さに気付いていませんでした。部活動でも試合に出られない理由でぐれ始め、いつしか先輩や友人、友人の保護者からよい目で見られなくなっていました。
 1年の終わりごろにたまたま将来のことを考える機会がありました。私は「勉強がんばろうと思うねんけど、まったく分からんねん、とくに英語は最初からわからん」などと、先生に何度も相談しました。そのたびに先生には「いまからなら間に合う」と言われ続けました。そしていつの間にか私は必死に勉強をしていました。その頃はただ「将来のために」と思っていましたが、そう簡単なことではありません。ある点数をとってから、成績の伸びが止まってしまったのです。それでも私は勉強をしました。そうするうちに私自身が変わり、日々努力するようになったのです。部活動にも必死になり、自分たちの代になってからは成績は6番をもらっていました。周りからも「努力家やな」と言われるようになりました。中3になると、テストの点数が急に伸びていきました。受験シーズンに入り志望校に決めたのは1、2年前では考えもしなかった学校です。そしていま、その学校に通っています。
 私は努力してよかったとつくづく思っています。がんばってこられたのは先生をはじめ周りの人たちのおかげです。自分を救ってくれた人のためにも、私と同じ思いしている子どもたちを変えてあげたいと思っています。それには中学校の教師になるのが夢で、その夢に向かってがんばっていきます。

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バンド活動を開始 ドラムは中学から

愛知県 3年 三浦 可蓮

 昨年から本格的にバンド活動を始めました。ドラムは中学からで、人前でライブをするのは大学生か大人になってからと思っていました。しかし、高校でバンドに入ってみたら、案外早く実現でき、いまではオリジナルの制作もしています。正直、ライブをやってみて音楽でやっていくことの厳しさを知り、つらいと思うことはあります。でも、その分、ライブを通じて知った景色や楽しさも味わいました。何より憧れの存在でテレビでしか見たことのなかった人たちと出会えるのが、うれしいです。バンドと勉強とバイトの両立は難しいですが、一つも手を抜くことなくできたらと思います。

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アメリカ語学研修は初めての体験ばかり

岐阜県 2年 戸谷 雄大

 この1年でいちばん印象に残ったことは、夏のアメリカ語学研修です。育英会の面接で大阪に行く際、人生で初めての新幹線に緊張したり、初めての飛行機、初めての海外、初めて知り合う人の家へのホームステイ体験など、本当に不安ばかりでした。
 現地では日を重ねるごとに、自分の英語力が嫌になったり、自信を持ったりその繰り返し。毎日が夢を見ているかのようで新鮮でした。お金なんかでは買えない、とても素晴らしい体験でした。
 アメリカへ行くために通い出した英会話教室は、帰国してからも続けています。それから、公文の英語にも取り組んでいます。その費用を出してくれている母には、後々、恩返しができればと思っています。いまは与えられたチャンスを十分に活かし、将来につなげたいです。

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いまの自分とこれからの自分

京都府 3年 水元 啓裕(けいすけ)

 この僕は、高校で建築を学び、バレーボール部とアーキテクト部に所属しています。いま勉強しているのは、建築構造設計と建築構造と建築計画の3科目と製図です。
 建築構造設計は、建築物にかかる重さを調べる計算や部材の材質によって断面にかかる力の位置を調べたり、建築に関わる計算を学ぶ授業です。公式が多すぎて分かりにくい所もあり、3科目の中でもいちばん難しいけれど、やっていていちばん楽しいです。
 建築構造は、建築物の部材や継手、金物の名称や、どの場所でどのようにして使うかなどを学びます。覚える量で言えば、建築構造設計よりも多いけど、宿題などで継手の形などを書いたりしているので覚えやすいし、いちばん簡単だと思います。
 建築計画では、家を設計するために必要な要素を学んだり、自分たちで考えた家の模型を作る授業などがあります。自分で考えて模型を作るので、あまり上手にいくことがないけど作っていて楽しいです。
 製図は好きだけど、早く描けないのが悩みです。
 今年は部活も最後の時期で、大学受験の年でもあります。大学はどこにするか、まだ少し悩んでいます。自分の将来につながることなのでしっかり考えて、受験に備えたいです。

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音楽学校で土台作り 目指す音楽を模索中

愛知県 2年 天白 翔也(てんぱく しょうや)

 念願の音楽学校に入学することができ、将来への道の土台作りに期待を膨らませ、楽しい日々を送っています。朝5時起きで6時の電車通学もつらくありません。音楽科なので数学や理科、社会はそれぞれ1年交代ですが、専門の授業は、ソルフェージュや音楽史、音楽理論に副科実技、専科実技などで埋まり、1日が終わるのがあっという間です。
 しかし楽しいことばかりではありません。音楽科は、他の人の演奏を参考にしてその人たちと違う演奏を考え、競い合いながら頂上を狙います。そんなときは精神的に追い込まれ苦しくなります。個人演奏の他、1年から3年まで合同でオーケストラ演奏もやります。僕はピアノ専攻ですが、高校ではピアノ以外の音も身に付けておくと世界が広がるという目的で、バイオリンを副科授業で学んでいます。
 昨年度は音楽科創立50周年で、愛知県芸術劇場でオーケストラ演奏を開催しました。それに向けて5月から練習が始まりました。バイオリンをもっと習得しなければ皆の足手まといになる、と焦る一方で、6月のピアノの実技試験にあわせての練習も同時進行でやらなければいけないという焦りも。こんなに時間がなく追いつめられた経験がなかったので、パニックになりそうでした。
 1年は実技試験や演奏会が交互にあり、その間にも学年文化祭やクリスマス会の合唱の演出もあります。専攻のピアノの練習時間が中学までより少なくなり、自分を見失いそうになりました。
 クラスの皆が個性が強く、意見や考えの違いでぶつかることも多々あります。そんな中で、僕はどんな音楽を目指すのか、考えが固まりかけてきたように思います。

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市で初の女性救急救命士に

佐賀県 2年 山口 舞(まい)

 私の将来の夢は、伊万里市初の女性救急救命士になることです。理由は二つあります。一つ目は小学6年のときに父を亡くし、大切な人を失うというつらい思いをしたので、多くの命を救い、つなげたいと強く思ったからです。ただし、その頃はまだ決心がつかず看護師になることも考えていました。しかし、中学2年のときに職場体験で消防署に行ったのを機に、救急救命士になることを決心したのです。救命士の方の話を聞いて、その仕事がすごくカッコいいと思いました。ただし、単にカッコいいからというのではなく、人の命をつなげる職業だと思ったからです。これが二つ目の理由です。
 そのために、走ることが一番苦手な私ですが、高校では陸上部に入りました。種目は長距離走。救命士は職業柄、体を故障することが多いので、いまのうちに身体を強くしようと心がけています。
 これから勉強も部活も大変になると思いますが、一番は自分の将来のため、そしていま支えてくれている家族、応援してくださっている周りの人のために、がんばりたいです。
 私は、「責任感が強く、誰からも信頼され、必要とされるような救命士」になりたいです。何事にも一生懸命に取り組むことで、周りからの信頼は得られ、始めたことを最後までやりとげることで、「責任感がある人だ」と評価されるのだと思います。それらの評価は一瞬でなくなってしまいますが、それを取り戻すにはすごく時間がかかります。
 伊万里市初の女性救急救命士になるのは難しいと思いますが、初心を忘れずに、日々がんばっていきます。

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ハンドボール部の部長、すべていい経験に

静岡県 3年 佐藤 聖

 私はハンドボール部に所属しています。最初はルールも分からず、先輩のアドバイスをもらい、一生懸命にやっていました。1年のとき、大きなけがで年の3分の1以上を棒に振り、復帰後も思うようにプレーができず、悩み苦しむ時間が長く続きました。それでも同僚や先輩に助けられて乗り越え、練習も人一倍努力した結果、部長に選ばれ、いまは部員を引っ張る立場にいます。たくさんのことを経験したからこそ、けがをした部員の気持ちにも寄り添え、良いチームを作れたと思います。
 部長という役をもらい、常に先頭でチームを引っ張るのはとても大変なことだと学びました。それまでは先輩の背中をがむしゃらに追いかけてきましたが、いまは自分たちが手本となって追いかけられる側です。初心者の1年に一から教えるのは難しく、本当にこんな教え方でいいのかと悩んだりします。たくさん課題が残り、それに向かって奮闘中です。
 色々な事を体験し、ときには悩み逃げたくなることもありますが、すべていい経験だと思っています。高校生活最後の年、とても充実していたと振り返れるような一年にしたいです。

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トランプ政権誕生で考えさせられること

長野県 3年 篠原 歩(あゆみ)

 この一年余はさまざまなことが起こったが、その中でもとくに印象に残っているのは、トランプ政権の誕生だ。私の周囲でも高校生なりに皆、意見を持っており、話題に上ることが多かった。結論から言えば、賛成意見はほとんど聞かれず、反対が圧倒的だった。
 その理由として、トランプ氏の女性蔑視発言から宗教や人種による差別に至るまで、過激な発言の数々が挙げられた。これについては、さまざまな方面から批判されており、私の周囲にもそれに同調する声が多く聞かれた。
 しかし、私はそのことに多少の憤りを感じた。 私が熱心なトランプ支持者というわけではないが、一方的にトランプ氏の政策を非難する日本国民には、少しばかりの疑問を感じたのである。それは、アメリカ国民の気持ちを私たちがどこまで理解できるのか、という点についてだ。
 極端な仮定ではあるが、仮に日本海をすべて埋め立てるとしよう。水産資源などの議論を除いて、国境が陸続きである点にだけ注目してみるとする。中国や韓国などの近隣諸国から、人々が自由に車で行き来できるようになったとき、私たちはどのように感じるのだろうか。もちろん、メリットは多大にある。だが、手放しで喜べる状態ではないだろうことは、容易に想像がつく。
 すでに、海という大きな壁を国境においている日本人は、アメリカの国境への壁建設に対して、簡単に意見が言えるのだろうか。これは難しい問題だと思う。
 選挙結果を考えても、少なくはない人数が事実、トランプ氏に賛成しており、宗教的、地理的な差異を考えると、他国の状況を一概に判断することは難しいと思う。それと同時に、今後も注目し考えていくべき重要なテーマでもある、と感じた。

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医者になって親孝行したい

京都府 2年 中山 優香(ゆか)

 世界で活躍する国際的な医者になるのが夢です。私は人を助けることが好きで、幼いころから医療系の職業に就きたいと思っていました。いままでは学力的に医師になることは不可能だから、看護師か薬剤師になろうと思っていました。しかし、冬休みに将来についてじっくり考えていたら、ふと小学2年時に入院して手術をしてくださった先生や病気についてわかりやすく説明してくださった先生のことを思い出しました。そして、「やっぱり医師になりたい」と強く思ったのです。
 そう決心した日から、私は、嫌いな科目の勉強やあまりやりたくないことにも不満を言わなくなりました。
 その決意を両親に告げてからは毎日、母が弁当を二つ作ってくれて、夜10時に終わる塾の迎えにも母か父が来てくれます。応援してくれる両親には感謝してもしきれないほどです。その分、もっと勉学に励もうという気がわいてきます。
 医師になる日が来たら、精一杯、親孝行をしたいと思います。

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挑戦することで、大切なことを学ぶ

大分県 2年 玉利 百花(ももか)

 いままでの私は挑戦することが苦手でした。周りからどう思われるのか、周りの視線ばかりを気にしていました。
 そんな後ろ向きだった私が新しいことに挑戦しようと思えたきっかけは、雑誌に載ったモデルさんのコメントです。それは〈自分のやりたいことをやったほうが人生絶対、楽しくなる〉というものです。それを読んで心が動き、「やりたいことを思いっきりやろう」と心に決めたのです。
 私がずっとやりたかったけど、周りの目を気にしてできなかったのは、ダンスです。その動画や音楽が大好きで、自分はどちらかというと見る方が好きだと思っていましたが、学校の授業で実際に踊ると、とても楽しく、ダンスを習いたいと思いました。実際に習い始めると、夢中になりました。
 いまの自分が大好きです。なぜなら、やりたいことを思いっきりできているからです。自分の可能性が広がり、新しい世界への扉を開けることができました。私は、新しいことに挑戦することで、大切なことをたくさん学ぶことができました。

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海上自衛隊に入って恩返しをしたい

愛知県 2年 山口 晃誉(あきたか)

 私の夢は、海上自衛隊に入隊し、日本の海を守ることです。海上自衛隊に入隊した部の先輩が忙しい合間を縫っては部に顔を出し、自衛隊の話を詳しくしてくれました。興味を持った私は本などで調べ、自衛隊が日本や海外でどんな活動をしているのかを知りました。災害派遣もそうですが、いままで育ててくれた家族や見守ってくれた育英会、そして日本という国に、自分がどうすれば恩を返し役に立てるのか、そう考えたとき、この仕事は自分にぴったりだと思いました。それを第一目標に、がんばっていこうと思います。

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庭をデザイン設計し、再現する

奈良県 3年 松下 優人

 私が通うのは、食糧生産から動物活用、施設野菜や施設草花、食品化学、造園緑化、シェフにパティシエなど、それぞれのエキスパートを育てる専門高校です。私は、庭作りのエキスパートを目指すコースに入っています。毎日、庭を設計したり、いろいろな木や花の名前を覚えたり、実際に自分たちで庭を再現したりしています。
 いまではいろいろな家の庭を見て、「この庭の形式はこうだ」と分かるようになってきました。道を歩いているだけで、この学校に通っていなかったら感じなかったことをいろいろ感じとるようになりました。
 小さいときから絵を描いたり、デザインしたりするのが大好きでしたが、学校でもその特技を生かし、庭の絵を描いて色付けしたりしています。先日も先生から「とても上手なので一枚、絵を描いてきてほしい」と頼まれました。一生懸命描いた自分の絵が認められたことは、とてもうれしく自信になります。
 残り少ない高校生活ですが、周りの人に感謝して生活していきたいです。

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他校にない教科で 自分が成長できる

北海道 2年 勝見 綾

 K中等教育学校に通っています。普通の高校生とは違い、「5年生」(高2)になります。私は、1年間の中でさまざまなプロジェクトがあるというところに、魅力を感じています。大学での遺伝子実験や環境現地学習、定山渓プロジェクト、ベトナムプロジェクトに参加しました。
 ベトナムプロジェクトでは、実際に1週間ほど現地に行き、姉妹校となる学校で授業を受け、通学生の家にホームステイし、現地の会社や日本語学校を訪問しました。将来、海外で働きたいという夢があったので、英語力向上のために参加しましたが、行ってみないと分からないような文化の違いや、日本の英語教育の遅れなどを知り、自分が成長できたと思います。
 学校では、数学カリキュラムの進み具合の異常なほどの速さや、他校にはない珍しい教科があったり、他と異なる面が多々ありますが、その分多くの経験をさせてもらい、入学してとてもよかったと思います。5年生になると、研究したり論文を書いたりして大変ですが、がんばっています。将来、どんな職業につきたいのか、そのためにはどこの大学を選び何を学ぶべきなのかをしっかり考えていきたいです。10年後も20年後も自分が笑っていられるように、本当は何をしたいのかを探す1年にしたいです。

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夢は予防医療の道に 苦しむ人を救いたい

山形県 2年 庄司 璃音

 私には夢があります。それは人々を病気から救うという夢です。そう言うと皆は「医者か」と思うでしょうが、私は自分自身の血を見るのも苦手なので、「もっと早い段階で病気を治せる方法を」と思っています。そして、自分で調べて見つけたのが予防医療です。これは、ワクチンの開発などで病気を未然に防ぎ、患者につらい思いをさせない医療技術です。
 私は将来、この医療技術でがんを未然に防ぎ、たくさんの人を助けたいと思います。また、ワクチン開発などの予防医療で最大の課題となる副作用についても、私自身の手で解決し、がんなどの病気で苦しむ人や悲しむ人を1日でも早く救いたいと思っています。
 そのためにはいま、勉強、とりわけ理系の教科をもっとがんばらなくてはいけません。私は数学が苦手で、いまの状況では文系に行くしかないというのが自分の悩みどころですが、何としてもその夢につながる道を選択肢から消さぬように、もっと努力したいです。
 それから、理系に行くことだけを目指すのではなく、両親のため自分のためにも、国立大学のできるだけ高いレベルに挑戦できるようにしっかりと勉強し、部活だけではなく、苦手なことにも目を向け、それがなくせるようにしたいです。
 いま、両親はお金に困っているので、私がもっとお金を稼ぎ、家族を楽にさせてあげたいです。でも、現在の状況では、成績も足りないし、自分の夢を誰かに言えば、笑われてしまうと思います。しかし、夢を絶対に諦めたくないし、何としても実現したいです。いまから、やれることをすぐにやって、まずは学力で周りや先生に認められるように、成績がどんどん上へ昇進していくようにしたいです。
 まだ、遠い道のりですが、「自分の人生は一度きりの道だ」と思うので、後悔しないように、いまから準備をしていきたいです。

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研究者への道を一歩一歩、歩んでいく

埼玉県 3年 津久井 康介

 国内の優秀な科学技術研究者たちがアメリカなど海外へ研究拠点を移す、頭脳流出の話を聞きます。気になって日本の「科学技術研究者への待遇」を調べました。国立や自治体の公的研究機関や大学研究所の教授、大企業の正規研究員はともかく、それ以外の研究者たちの多くは、あらかじめ研究計画書を国や研究機関に提出し、その認可を得て、基本的に5年間の期間内に一定の研究予算内(科研費―日本学術振興会による科学研究費助成事業)で、それなりの成果を提出できなければ、研究を継続することができません。また、研究費以外の報酬(給与)や待遇も、他国と比べて恵まれない状況です。
 自分は、都立高専特有の2年次進級時の専門コースの選択で、機械系と電気・電子系のどちらにすべきか悩みましたが、機械系のある先生に出会って、機械系コースに決めました。同コースでは、2人の先生の考え方と研究姿勢に感銘を受けました。1人は、電気系と機械系の両分野に通じ、医療に応用できるロボットの研究と教育に携わる先生で、もう1人は、機械系の材料加工学の第一人者で、製図実習では学生に一切の妥協と甘えを許さず、必修科目の中で群を抜く留年率を誇る厳格な先生です。幼い学生を辛抱強く教えながら学問研究方法を授ける情熱と、研究者の道を歩み続ける姿勢に頭が下がります。自分も先生方のような研究者になりたいと思っています。研究者への道を一歩一歩懸命に歩んでいくつもりです。

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大学で理学療法、将来は保健衛生学を

静岡県 3年 大 柊(しゅう)

 将来は保健衛生学に携わっていきたいと思うようになりました。進学先では理学療法を学びたいと思っています。
学校生活を振り返ると、野球部の活動との両立が大変でした。2年から始めた朝学習。朝早めに登校し、45分間の勉強を自らに課しました。毎日休まず取り組むことで苦手の英語も基礎力をつけ、テストの点数を底上げすることができました。また、体育委員長や体育大会実行委員を務めたことで責任感やコミュニケーション能力を身に付け、皆で協力しての成功体験や仲間の団結力を手に入れることができました。
これらの経験を自分の進路に生かしていきたいです。志望の大学では、日々進化していく理学療法の医療技術を学ぶとともに、いま以上にコミュニケーション能力を強化したいと思います。理学療法はリハビリテーションを主な仕事としますが、同じ場所のケガでも同じ処置をするとは限りません。患者さんとのコミュニケーションを取ることで、より詳細なケガの状態を知り、患者さんそれぞれに合った方策をとることが大切だと教わりました。大学では、この二つのことを学んでいきたいと思います。

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熊本地震被災 建築士を志望

熊本県 2年 前田 さつき

 高校に入学して4日目に熊本地震で被災しました。1年は宿泊研修中で、ホテルで3時間、クラスの皆が何も情報がつかめないまま待機を強いられました。母に電話して声を聞いたときには涙が出ました。県内の高校で一番被災が大きかった私の高校は、他県より一か月遅れの新学期スタートでした。運動会や文化祭、修学旅行などの行事がなくなった上、教室には13度に傾いた地学室や、2学期からはプレハブ教室を使用するなど、快適とは言えない場所を転々としました。それでも他県に追いつくために授業のスピードは速く、とても忙しい日々でした。
2年になり進路について考えますが、建築士になりたいです。災害に強く、人々が求めるような家を造りたいです。地震を通して、家があるおかげで毎日笑って暮らせるのだと強く感じました。そして、暮らしの原点となる家を造る建築士は、なんて素晴らしい職業だろうと思ったのです。その夢を叶えるために大学へ行きたいと思います。
東京の大学に通う兄を支えながら、私の大学進学も考えてくれる母には、感謝してもしきれません。進学にはお金が必要ですが、交通遺児育英会は私たちに希望を与えてくださいます。1歩ずつ家族と共に幸せな未来に向かって歩んでいきます。

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オーストラリアに3か月短期留学

東京都 3年 中本 みなみ

 昨年6月から9月にかけてオーストラリアの姉妹校に3か月間短期留学(第1期生)しました。オーストラリアでは毎日が新鮮で発見することばかりで、友達もたくさんできました。自分の将来の選択肢がすごく広がった気がします。いままでは父の事故の影響で法学系に進みたいと考えていましたが、国際関係にも興味がわいてきました。きっかけは、高1のときに育英会のアメリカ語学研修に参加し、そこで同じような経験をした同年代の人と知り合うことができたことです。それがなければ、日本を出て世界の考え方を知ろうなどとは考えなかったと思います。そうした体験も、「あしながおじさん」のご支援があればこそで、私たち交通遺児はいまの生活を無事に送ることができています。自分の決めた道に向かって精一杯がんばります。

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