高校奨学生の声

海外で自然保護区の職員になりたい

宮城県 3年 梅津 愛凪

 この1年間を振り返ってみたいと思います。一番心配だったのは勉強で、これに関しては心配することはなさそうです。
 高校は2年に上がるとコースが分かれ、自分の好きな方面を選んで学ぶことができます。私は畜産系を選びました。最初は慣れずに疲れがたまったりしましたが、今では牛や山羊の世話を楽しくしています。
 主に牛舎の掃除や牛や山羊にブラッシングして餌をやるなど、人間になれさせるようなことをしています。ブラッシングをすることでリラックス効果もありますし、何より気持ちよさそうな牛たちを見ていると、心がとても休まります。
 2年では修学旅行がありました。特に印象に残っているのはUSJで、初めて高校の友達と一緒にアトラクションに乗りました。一生記憶に残るほど楽しかったです。  ジュラシックパーク内のフライングダイナソーというアトラクションは宙づり状態で進みます。スピード感があって乗った甲斐がありました。他にもたくさんの乗り物に乗りましたが、どれも迫力がありました。母も「行ってみたい」と言っていたので、いつか連れて行ってあげたいです。
 最後に、将来の夢に関して書きたいと思います。夢は中学校の頃から固まっていて、海外で自然保護区の職員になることです。きっかけは「アニマルプラネット」というテレビ番組でシロサイの密漁について見たことでした。動物たちを密猟者から守りたいと思って、勉強をがんばっています。

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一冊の絵本から 自分の成長を実感

福井県 2年 中川 暁斗

 私の愛読書は『ぼちぼちいこか』(作/マイク・セイラー、絵/ロバート・グロスマン 訳/今江祥智、偕成社)という一冊の絵本だ。
 この絵本は、日本語の表現の豊かさ、挑戦する事の難しさなどの多くの事を教えてくれた。そして、成長し、多くの人の考えを知るにつれ、今なお新しい発見を私にもたらしてくれる。私にとって特別な一冊だ。
 私が初めてこの本に触れたのは、保育園児の時だ。ユーモラスな絵や、関西弁独特の小気味の良いテンポ感が、幼い私の心をがっしりとつかんで離さなかった。
 以来、内容を完璧に暗記するほど、この本を読み返してきた。その中で私は、前に読んだ時の自分が別人のように感じるという体験を何度かしてきた。本の内容は変わるはずがないのに、主人公を見る目が、がらりと変わるのだ。
 私に限った話ではなく、誰もが同じような経験を人生の中でしてきたのだろう。物の価値を知って、他の人たちの評価を聞いて、実際に体感して。そのきっかけは日常のあらゆる所に山ほど存在する。他の人や物、時にはそれそのものから、新たな情報を吸収して、自分の中にある基準というものが少しずつ変化していくのだろう。
 他人からの評価というものは、どうしても気になってしまうし、気にする事を悪い事だとは思わない。自分にはない視点からの意見を得られるからだ。しかし気にする余り、自分の意見を見失ってはいけない。自分は最初にどう感じたのか、そこから何がきっかけで、どう変化したのか。それが大切なのだろう。
 私は『ぼちぼちいこか』という絵本に対して、色々な向き合い方をしてきた。主人公を何度も好きになったし、何度も嫌いになった。きっと、これからもそうなのだろう。私はその変化をいつまでも覚えていたい。そして、その時々の自分と今の自分の違い、成長を実感しながら生きていきたいと思う。

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ボランティア活動 助産師になる夢を

長野県 2年 澤村 真由美

 4年後の自分はどうしているのだろう、6年後の自分は何をしているのであろうと考えると、私はその時、助産師として働いていたいなあと考えています。
 元々、看護師という夢がありました。ある時、2015年放送の「コウノドリ」というドラマを見ました。そこには産科医、助産師、妊産婦などいろんな役割の人がいました。私の目に留まったのは、小松さんという助産師さんでした。出産するお母さんに寄り添う姿を見て、助産師という志事≠ノ憧れを持ちました。今は、その時の憧れを自分のものにするために日々、勉学に励んでいます。
 それから、興味を持った助産師という職業をインターネットなどで調べてみたところ、女性にしかなれない職業だということを知りました。女として生まれてきて、自分の性を将来やりたいことに生かせるということを、うれしく感じました。
 私は高校でボランティア部に入って活動しています。どんなボランティアに行っても共通してあるのは、必ず相手がいるということ。年齢が違っても一緒に活動すると、「ありがとう」という笑顔の輪ができます。相手がいることの楽しさ、難しさなどいろんなことを感じることができます。
 そうした経験から、「助産師になって人と関わりたい」と思うようになったのです。

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臨床心理士資格をとって教員になりたい

新潟県 3年 大橋 啓己

 将来の夢は教員になることです。元々、心理学に興味があり、大学では主に臨床心理について学ぼうと思っています。そして、大学院へ入学し、臨床心理についてさらに深く学び、臨床心理士の資格を取得しようと思っています。その後、学んだことを生かして、教員になろうと思っています。
 なぜそう思ったのか、それには理由があります。子どもの自殺やいじめ問題、大人から子どもへの虐待がとても増えているからです。これらの問題は、家庭環境の悪化だけでなく、僕は学校での環境悪化も原因だと考えています。
 ですから、これらの問題を少しでも解決できるように、心理学を使った正しいことを教えることができる教員になろうと思っています。
 できることは少ないかもしれませんが、大人として、教員として、そして一人の人間として、たくさんのことを教えていけるようにがんばりたいと思います。

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いつも味方でいてくれる母に感謝

東京都 3年 海野 麻美

 私は、3歳のときに父を事故で亡くし、それから母と二人で過ごしてきました。今までの生活を振り返ってみると、母に感謝すべきことが本当にたくさんありました。
 まず始めに、私はこれまで生活していて一度も不便を感じたことがない、ということです。きっと、他の家庭でも多くの人が色々なことを我慢していると思うのですが、あまり我慢などしていなかったなと思いました。例えば、「習いたいことがある」と相談すると、すぐにやらせてもらえました。そのおかげで、6年間も続けているバスケットボールにも出会うことができました。
 次に、いつでも味方でいてくれるところ、いつどんなときでも前向きな言葉をかけてくれるところです。私が部活の大会で負けてしまったとき、家ですごく母に八つ当たりしてしまったことが何度かありました。それでも母は何も言い返さず、ただ「次がんばれ!」とか「そういうこともあるよ」と、いつも慰めてくれます。試合の後、チームメートの前では泣かなかったのに、母と二人で帰っているときに泣いてしまうのも、きっと母の前だからだと思います。
 他にも、本当に多くの感謝することがありました。〈母はすごすぎて、一生かけても恩を返しきることは絶対にできないけれど、私にできることは何でもしてあげたい〉と心から思いました。
 また、私が母親になったときには自分の母のように、いつでも自分の子どもの一番の味方であり、一番近くでずっと応援してあげたいと思います。子どもの前ではいつもかっこいいヒーローである母親になって、私がいま思っているようなことを、同じように思われたいです。

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私の夢と大切な家族

青森県 1年 田 遥香

 保育園児の時から今までずっと変わらない夢があります。それは「保育士」です。保育園に入園してまだ慣れていない時に、不安で寂しく、泣いている私を、優しく笑顔で接してくれて、ピアノをすごく上手に演奏しながら歌っていた保育士に憧れました。私もそうなりたいと思ったのです。
 保育士の数は、関東地方などは少なく、子どもたちの数も減っていますが、私は高校を卒業して大学に進学し、「保育士の免許をとる国家試験」への合格を目指します。そして関東地方で自分が入れる保育園を見つけ、働きたいと思っています。
 小学校に入学する前に、お父さんとお母さんに「将来、保育士になりたい」と相談したら、小学1年から6年までずっと、ピアノ教室に通わせてもらいました。ピアノ発表会では、緊張して苦戦しながらも最後まで演奏しましたが、今では、難しい曲でも楽譜を見れば演奏できます。保育園で歌っている歌曲は、ほとんど楽譜を見なくても弾けるようになりました。
 ずっと支えてくれたのは、学校の先生や友人や近所の人、そして一番は「私の家族」です。頼りがいがあり、とにかく笑うのが大好きなお父さん。どんな時も優しく応援をしてくれるお母さん。かっこよくて生意気な弟。お母さんのように接してくれるおばあちゃん。すごく賢くてとてもかわいい愛犬のラブちゃん。皆に感謝しています。
将来、保育士になり、私がピアノで子どもたちと楽しく歌い、結婚したら今の家族のように、子どもがいて可愛く賢い犬も飼うような家庭を作りたい。そんな思いが、この1年、ますます強くなりました。

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アインシュタインのような物理学者に

長野県 3年 金井 歩夢

 私は小さい頃に見たサイエンス・ショーや化学実験に憧れて、科学者になりたいと思っています。目標は、尊敬するアインシュタインのような物理学者になることです。
 そのために、私は学校で頑張っていることがあります。もちろんそれは勉強です。どの教科も一生懸命学んでいますが、その中でも数学と理科系科目と英語は、他の教科に比べて特に力を入れています。
 数学は物理学を学びたいと思っている私にはなくてはならない教科で、理科系の教科も同じ理由です。そして英語。私は最初のうちは〈英語なんて使うのかな〉と思っていたのですが、将来を考えていく上で、〈すごく大事な教科だ〉と思うようになりました。
 なぜかというと、学者になるということは〈様々な人たちと意見を交わすことが多くなる〉と思ったからです。それは日本の中だけではなく海外でもあることでしょう。そのとき、英語ができなければ、自分の考えを伝えることができません。他にも、外国の人が書いた論文を読むこともあるでしょう。
 だから、私はこれからも、将来なりたいもののために努力していくつもりです。たとえ、それがとても大変なことでも、やり続けてみせます。

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母と妹、祖父母の家族5人、皆大好き

福岡県 2年 花田 麻里菜

 お父さんが亡くなって今年で12年。お母さん、これまで育ててくれて、ありがとう。運動会では朝早くからお弁当をたくさん作ってくれて、他の家族より大きな声で声援してくれましたね。うれしかったです。授業参観も全部見に来てくれて、妹の方と半分ずつ見ていたのを思い出します。いつでも味方でいてくれて支えてくれるから、すごく心強いです。保育園のときから「子どもたちには、これ以上悲しい思いをさせたくない」と言って、ずっと仕事と子育てをがんばってくれて、ありがとう。これからも苦しいこと、つらいことがあると思うけど、3人で支え合っていこうね。
 おじいちゃんはお父さんが亡くなってから、父親代わりでした。入学式と卒業式には必ず、また他の学校行事にも参加してくれて、本当にうれしかった。小学生のころは、夏になると毎年庭でそうめん流しを催してくれました。おばあちゃんとの結婚記念日や誕生日など家族の特別な日には、サプライズでお花とかを買ってきてくれるおじいちゃん。こんな人と結婚したいなと思います。
 おばあちゃんは、保育園のころ、毎日迎えに来てくれて、おいしいご飯を作ってくれました。一緒にいるといつも笑え元気になれて、本当に安心する。私が元気がないときは、笑顔にしてくれて、何でも話を聞いてくれて、やさしくアドバイスをくれます。
 私はこんな家族が大好きです。

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英検準1級を目標にYWCAで部活動も

宮城県 3年 柳町 美有

 学習の面では全教科まんべんなく勉強することができています。とくに2年で英語検定2級に合格することができたことは、自信につながりました。現在は、英語検定準1級の取得を目指し、日々勉強に励んでいます。
 部活動の面ではYWCAという部に所属し、児童館や幼稚園、老人ホームに行ったり、募金活動をしたりしています。大変なことも多いですが、やりがいがあり、楽しいです。
 学校行事ではクリスマス礼拝がとても記憶に残っています。毎年、学年ごとに1曲ずつ歌った後に、会場出席者全員で「ハレルヤ」を歌います。3年の先輩方が学年合唱中に感極まって泣いていたのが印象的でした。クリスマス礼拝の存在の大きさ、このメンバーで歌えることのありがたみを強く感じました。最後に歌う「ハレルヤ」は圧巻で、この瞬間に立ち会えるのも今年度が最後なのだと思い、昨年度以上に心を込めて歌おうと思います。努力して多くを学び、豊かな経験につなげたいです。

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世界史は偉人たちによる長編ドラマだ

新潟県 2年 土田 向陽

 高校でとても興味を持ったのが世界史だ。世界史を一言で表すれば、それは偉人たちによる長編ドラマだと思う。『三国志』というものを知っているだろうか。中国の後漢末期における、武将たちの興亡史だ。当時中国が三つに分かれていて、それぞれの国の王、曹操(魏)、劉備(蜀)、孫権(呉)が、中国の統一を目指して戦った。それをまとめた歴史書である。
 人気の理由は三者の力関係。最も強いのは呉王・孫権だが、その孫権を他の二王がどのようにして倒すのかというところに、おもしろさがある。
 そして、それは世界史全般のおもしろさに通じる。どのような戦いがあり、どんな人物が活躍して、いまの世界ができたのか。それを知るだけでワクワクしてくるだろう。ぜひ、世界史を学ぶことのおもしろさを、感じてほしい。

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中学校の教師になるのが夢

大阪府 2年 瀬々倉 賢胡

 私には夢があります。中学校の教師になることです。それには深い理由があります。
 中学1年のとき、私はまったく勉強をしませんでした。自分は賢くはなれないと思い込んでいたからです。そのときは努力することの大切さに気付いていませんでした。部活動でも試合に出られない理由でぐれ始め、いつしか先輩や友人、友人の保護者からよい目で見られなくなっていました。
 1年の終わりごろにたまたま将来のことを考える機会がありました。私は「勉強がんばろうと思うねんけど、まったく分からんねん、とくに英語は最初からわからん」などと、先生に何度も相談しました。そのたびに先生には「いまからなら間に合う」と言われ続けました。そしていつの間にか私は必死に勉強をしていました。その頃はただ「将来のために」と思っていましたが、そう簡単なことではありません。ある点数をとってから、成績の伸びが止まってしまったのです。それでも私は勉強をしました。そうするうちに私自身が変わり、日々努力するようになったのです。部活動にも必死になり、自分たちの代になってからは成績は6番をもらっていました。周りからも「努力家やな」と言われるようになりました。中3になると、テストの点数が急に伸びていきました。受験シーズンに入り志望校に決めたのは1、2年前では考えもしなかった学校です。そしていま、その学校に通っています。
 私は努力してよかったとつくづく思っています。がんばってこられたのは先生をはじめ周りの人たちのおかげです。自分を救ってくれた人のためにも、私と同じ思いしている子どもたちを変えてあげたいと思っています。それには中学校の教師になるのが夢で、その夢に向かってがんばっていきます。

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バンド活動を開始 ドラムは中学から

愛知県 3年 三浦 可蓮

 昨年から本格的にバンド活動を始めました。ドラムは中学からで、人前でライブをするのは大学生か大人になってからと思っていました。しかし、高校でバンドに入ってみたら、案外早く実現でき、いまではオリジナルの制作もしています。正直、ライブをやってみて音楽でやっていくことの厳しさを知り、つらいと思うことはあります。でも、その分、ライブを通じて知った景色や楽しさも味わいました。何より憧れの存在でテレビでしか見たことのなかった人たちと出会えるのが、うれしいです。バンドと勉強とバイトの両立は難しいですが、一つも手を抜くことなくできたらと思います。

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アメリカ語学研修は初めての体験ばかり

岐阜県 2年 戸谷 雄大

 この1年でいちばん印象に残ったことは、夏のアメリカ語学研修です。育英会の面接で大阪に行く際、人生で初めての新幹線に緊張したり、初めての飛行機、初めての海外、初めて知り合う人の家へのホームステイ体験など、本当に不安ばかりでした。
 現地では日を重ねるごとに、自分の英語力が嫌になったり、自信を持ったりその繰り返し。毎日が夢を見ているかのようで新鮮でした。お金なんかでは買えない、とても素晴らしい体験でした。
 アメリカへ行くために通い出した英会話教室は、帰国してからも続けています。それから、公文の英語にも取り組んでいます。その費用を出してくれている母には、後々、恩返しができればと思っています。いまは与えられたチャンスを十分に活かし、将来につなげたいです。

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いまの自分とこれからの自分

京都府 3年 水元 啓裕(けいすけ)

 この僕は、高校で建築を学び、バレーボール部とアーキテクト部に所属しています。いま勉強しているのは、建築構造設計と建築構造と建築計画の3科目と製図です。
 建築構造設計は、建築物にかかる重さを調べる計算や部材の材質によって断面にかかる力の位置を調べたり、建築に関わる計算を学ぶ授業です。公式が多すぎて分かりにくい所もあり、3科目の中でもいちばん難しいけれど、やっていていちばん楽しいです。
 建築構造は、建築物の部材や継手、金物の名称や、どの場所でどのようにして使うかなどを学びます。覚える量で言えば、建築構造設計よりも多いけど、宿題などで継手の形などを書いたりしているので覚えやすいし、いちばん簡単だと思います。
 建築計画では、家を設計するために必要な要素を学んだり、自分たちで考えた家の模型を作る授業などがあります。自分で考えて模型を作るので、あまり上手にいくことがないけど作っていて楽しいです。
 製図は好きだけど、早く描けないのが悩みです。
 今年は部活も最後の時期で、大学受験の年でもあります。大学はどこにするか、まだ少し悩んでいます。自分の将来につながることなのでしっかり考えて、受験に備えたいです。

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音楽学校で土台作り 目指す音楽を模索中

愛知県 2年 天白 翔也(てんぱく しょうや)

 念願の音楽学校に入学することができ、将来への道の土台作りに期待を膨らませ、楽しい日々を送っています。朝5時起きで6時の電車通学もつらくありません。音楽科なので数学や理科、社会はそれぞれ1年交代ですが、専門の授業は、ソルフェージュや音楽史、音楽理論に副科実技、専科実技などで埋まり、1日が終わるのがあっという間です。
 しかし楽しいことばかりではありません。音楽科は、他の人の演奏を参考にしてその人たちと違う演奏を考え、競い合いながら頂上を狙います。そんなときは精神的に追い込まれ苦しくなります。個人演奏の他、1年から3年まで合同でオーケストラ演奏もやります。僕はピアノ専攻ですが、高校ではピアノ以外の音も身に付けておくと世界が広がるという目的で、バイオリンを副科授業で学んでいます。
 昨年度は音楽科創立50周年で、愛知県芸術劇場でオーケストラ演奏を開催しました。それに向けて5月から練習が始まりました。バイオリンをもっと習得しなければ皆の足手まといになる、と焦る一方で、6月のピアノの実技試験にあわせての練習も同時進行でやらなければいけないという焦りも。こんなに時間がなく追いつめられた経験がなかったので、パニックになりそうでした。
 1年は実技試験や演奏会が交互にあり、その間にも学年文化祭やクリスマス会の合唱の演出もあります。専攻のピアノの練習時間が中学までより少なくなり、自分を見失いそうになりました。
 クラスの皆が個性が強く、意見や考えの違いでぶつかることも多々あります。そんな中で、僕はどんな音楽を目指すのか、考えが固まりかけてきたように思います。

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市で初の女性救急救命士に

佐賀県 2年 山口 舞(まい)

 私の将来の夢は、伊万里市初の女性救急救命士になることです。理由は二つあります。一つ目は小学6年のときに父を亡くし、大切な人を失うというつらい思いをしたので、多くの命を救い、つなげたいと強く思ったからです。ただし、その頃はまだ決心がつかず看護師になることも考えていました。しかし、中学2年のときに職場体験で消防署に行ったのを機に、救急救命士になることを決心したのです。救命士の方の話を聞いて、その仕事がすごくカッコいいと思いました。ただし、単にカッコいいからというのではなく、人の命をつなげる職業だと思ったからです。これが二つ目の理由です。
 そのために、走ることが一番苦手な私ですが、高校では陸上部に入りました。種目は長距離走。救命士は職業柄、体を故障することが多いので、いまのうちに身体を強くしようと心がけています。
 これから勉強も部活も大変になると思いますが、一番は自分の将来のため、そしていま支えてくれている家族、応援してくださっている周りの人のために、がんばりたいです。
 私は、「責任感が強く、誰からも信頼され、必要とされるような救命士」になりたいです。何事にも一生懸命に取り組むことで、周りからの信頼は得られ、始めたことを最後までやりとげることで、「責任感がある人だ」と評価されるのだと思います。それらの評価は一瞬でなくなってしまいますが、それを取り戻すにはすごく時間がかかります。
 伊万里市初の女性救急救命士になるのは難しいと思いますが、初心を忘れずに、日々がんばっていきます。

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ハンドボール部の部長、すべていい経験に

静岡県 3年 佐藤 聖

 私はハンドボール部に所属しています。最初はルールも分からず、先輩のアドバイスをもらい、一生懸命にやっていました。1年のとき、大きなけがで年の3分の1以上を棒に振り、復帰後も思うようにプレーができず、悩み苦しむ時間が長く続きました。それでも同僚や先輩に助けられて乗り越え、練習も人一倍努力した結果、部長に選ばれ、いまは部員を引っ張る立場にいます。たくさんのことを経験したからこそ、けがをした部員の気持ちにも寄り添え、良いチームを作れたと思います。
 部長という役をもらい、常に先頭でチームを引っ張るのはとても大変なことだと学びました。それまでは先輩の背中をがむしゃらに追いかけてきましたが、いまは自分たちが手本となって追いかけられる側です。初心者の1年に一から教えるのは難しく、本当にこんな教え方でいいのかと悩んだりします。たくさん課題が残り、それに向かって奮闘中です。
 色々な事を体験し、ときには悩み逃げたくなることもありますが、すべていい経験だと思っています。高校生活最後の年、とても充実していたと振り返れるような一年にしたいです。

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